2014年12月18日木曜日

【高校生のための”人生”の教科書29】 何を信じて生きてゆくのか

 前回の続きですが、日本人はおおむね「どこかで神様やご先祖様が見ている」といった漠然とした宗教観を持って生きていることが多い、というお話でした。


 ところが、それは「信仰」「宗教」と呼べるほどの強い感覚ではないので、困ったことや辛いことに遭遇した時に、そうした宗教観を持って「理屈で納得したり、自分を励ましたりできない」という問題点を持っていることもお話しました。


 では、私たちは「何を信じて生きてゆけばいいの」でしょう。


 日本人は古い時代には「神道」や「仏教」を心から信仰して生きてきた時代もあります。時には「キリシタン」の信仰を持った人もあります。

 ところが、今更現代人に「オオクニヌシ」を信じましょうとか「仏教に戻りましょう」とか言っても、それはナンセンスだと思います。

 もとの話ではないですが「だから僕たち私たちは無神論ですってば」と話は堂々巡りになってしまうに違いありません。




 そこで、この教科書では、全く新しい「心の軸足・こころのベース」を提案してみたいと思います。いやいや、何も新しい宗教をはじめるからそれを信じなさい!と言ったりするわけではありません。


 もう少し、みなさんの心に届くような、みなさんの元々もっている「神様のような何かを漠然と思う心」を大切にするような方法で考えてみることにします。




 日本人固有の信仰である「神道」というのは、本来「ご先祖さま」を信仰するものです。ですので、神道では「どうやってこの国が生まれたのか」とか、そういう話から始まります。


 興味がある人は日本神話に関する本を読んでもらえばいいので、ここでは割愛しますが、日本人は「先に亡くなった先祖を大事にする」気持ちを本来持っている民族だと言えるでしょう。


 現在、天皇という存在が日本で重要視されるのは、天皇の祖先が「アマテラスオオミカミ」であり、神様の子孫であるという理屈があるからです。


 ですが、日本において神様は何も「特殊な、一部の人だけがなれる」ものではありません。あなたが今想像する「天にいるっぽいご先祖さま」もすでに神様みたいな存在として認識されているように、平安時代で言えば菅原道真は「天満宮」として神様になっていますし、徳川家康も「東照宮」になっているように、



 誰でも神様



になれる民族だったりします。


 だから天皇の先祖が神様であることは特別なことではありません。あなたの先祖もたぶんどこか天の上のほうで神様になっているわけですから、あなただって神様の子孫なのです。


 つまり、日本人の「神」意識は、そういう「誰もが神性を持っている」というところにあるわけです。


 これを仏教っぽくいえば、亡くなった人は「ホトケさま」になるわけですね。基本はおなじ理屈です。


 そういう意味では、日本的な神様の概念は「先祖崇拝」とか「亡くなった人への思い」が基本になっていることがわかります。


 それはつまり



 わたしたちがこの世界に生まれてきたのは、お父さんお母さんのおかげ


 そして、そのまたおとうさんの、おかあさんの、そのまたおとうさんの、おかあさんの・・・・



という考え方の集合体である、ということなのです。


 これは、基本的にはすべての人類の「軸足・心の支え・ベース」になってもおかしくない事実ですね。


 ちなみに、実の父母と上手くいっていない家族に生まれた子供もいることでしょう。しかし、今のお父さん、お母さんとは問題があっても、そのまたおとうさんとか、その先のおじいちゃんや、ひいおじいちゃんまでが、あなたのことを悪く思っていると思いますか?


 きっとそんなことはありません。基本的にご先祖というものは子孫が生まれることを喜びとしている、と考えるのも私たちの民族的な感覚だと思います。


 そういう意味では、「憎まれながら生まれてきた子孫」なんてものは存在しないのです。五穀豊穣・子孫繁栄は、日本の社会においては、



 最も良いこと



とされてきたのです。


(つづく)





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