2014年12月13日土曜日

【高校生のための”人生”の教科書26】 努力は報われない、しかし・・・。

 仕事をはじめる、社会人になるということと、「学生である」ということの一番大きな違いは、


「学生の間は、努力は必ず報われるが、社会人になると、努力の大半は報われない」


ということに尽きるでしょう。


 これは、理解できそうでなかなか理解できない難しいテーマでもあります。しかし、このことを理解していないとあなたの人生を大きく踏み誤ることが生じかねないので、心を鬼にしてお話しようと思います。


 学生時代において、それが小学校でも中学でも高校でも、あるいは大学でも、


「努力したことが報われない」


ということはあまり存在しません。


 勉強で言えば、自分で学習したことは時間をかけた分だけ成績となって返ってきます。部活動においても、必死で取り組んだことは、かならず「変化」として目に見えます。

(たとえレギュラーが取れなくても、たとえ試合で相手に負けても、あなたが以前よりもかならず上達し、あなたが向上していることだけはアホでも体感できるはずです)


 ところが、社会に出ると「あなたの責任とは無関係」なところで、あなたに関係のある問題や事件が生じる、ことが多々あります。


 平たく言えば「あなたが頑張っても、あなたと無関係なところで邪魔が入ったり、結果的に成果がダメになる」ことがたくさん起こるのです。




 たとえばどんなことが考えられるでしょう。あなたが一生懸命働いている店舗であっても、たまたま偶然付近にライバルが店を出せば、物理的に売上げは半分になります。取り戻そうと一生懸命戦っても、うまくいって「元の売上げに戻る」だけです。

 仮にあなたの給料が業績に連動していたら、あなたは何も悪くないのに給料が半分になり、あなたは頑張ってもやっともとの給料に戻るだけ、ということになります。



 あなたが必死にモノを売り、値下げしてたくさん買ってもらう努力をしても、円高やら円安やらに左右されてあなたの努力したくらいの価格はすぐにふっとんでしまいます。



 あなたがすごく頑張って技術を身に着けて、会社一の技能者として認められても、元請が中国に製品作りを依頼してしまったせいで、あなたの工場は閉鎖になったりします。




 かなり残酷な話ですが、そうしたことが日々平気で起きるのが社会人の生活だというわけです。あなたの技能が向上し、あなたの努力が積み重なっても、それが給料に反映されなかったり、業績として認められないことは多々起こりえます。よって、一般的には


「社会においては、努力は報われるとは限らず、報われないことも多々ある」


ということをベースに持っておく必要があるのです。



 これを理解していないと、あなたは「自分が不遇なのは会社が悪いからだ」とか「上司がわかってないからだ」とか、その真の原因を見誤って身近な誰かの責任だと誤解してしまい、「自分はもっと本来はできるはずだ」とあやまった過信をしてしまうことが起きます。


 結果、仕事をやめてしまったり、上司と対立したりして辞めさせられたりすることもあるでしょう。


 しかし、本当の原因はそこではないのです。あなたの努力とは無縁のところで、何かが起きていることもしょっちゅうあるのですから。




 ただ、こんな話をすると、若い人の間には「じゃあ、努力しても無駄じゃないか」という投げやりな気分が広がってしまうことでしょう。


 社会に出てもいいことなんてちっともない。むしろ、嫌なことだらけだ。と働く気持ちすら失せてしまうかもしれません。


 しかし、これまた社会と言うものの妙なところなのですが、


「努力しても報われない」


という言葉には続きがあるのです。


「・・・しかし、努力していない者の頭上にはチャンスは降ってこない」


とでいうべき、謎の現象が起こることも事実なのです。覚えておきたいですね。




 どういうことか説明します。たしかに努力していても無駄になることは多いです。しかし、どんなに直接の案件では無駄になったとしても、「あなたが努力できる人間である」ことは誰もが知っていることになります。「あなたには力がある」ということを誰もが知っているならば、もともとの案件ではすべてがおじゃんになったとしても、


「次のチャンスをあなたに与えよう」


と考える人は次々に出てくるのです。


 あなたが工場一の技能者であれば、その工場は閉まっても優先的に別の工場での仕事が与えられるはずです。あるいはその業務が取りやめになっても、「別の道で頑張ってみないか?」と声をかけてくれる人はかならず出てきます。

 それは、あなたが「頑張れる人」だと誰もが知っているからです。




 少し脱線した話をしますが、なぜ「いい学校を出た人はいい会社に入れる」と一般的に言うのでしょうか。

 偏差値の高い大学に入っている人は、なぜ優秀だと世間では思うのでしょうか。


 それは、「偏差値の高い大学に入れるくらい、あの人はきっと努力しただろうし、また素質が高いのだろう」と想像できるからです。


 だから彼は優先的に「うちの会社で頑張ってみない?」と声をかけてもらえるのです。まだその会社で一切働いたこともないのに!(本当の実力がまったくわからないのに!)


 同じように、日々努力を重ねていることは、RPGで言うところの経験値を上げておくということに他なりません。


 経験値を上げなくても日々の業務はとくに問題なく遂行できるでしょう。(雑魚はそれなりに倒せるでしょう)


 しかし、一定の経験値に到達していないとステージボスは倒せないのです。(たまに現れるチャンスをものにできないのです)



 ですから、私たちは「報われるために努力をしている」という勘違いをすぐに捨てるべきです。


 報われるかどうかではなく、いつか訪れるチャンスのために、準備をしておくべきなのです。

0 件のコメント:

コメントを投稿