2014年12月16日火曜日

【高校生のための”人生”の教科書27】 お金の正体

 現代に生きる私たちが、何のために働き、何のために仕事をするのか、といえば、それは短絡的には


お金のため


と言う事ができます。お金を稼がなくては、生きてはいけません。お金がないと衣食住の手当てができません。お金がないと暮らしていけないからです。


 しかし、それをもういちど根本的に突き詰めてゆくと、お金というのは最終的にはやはり「エサ」というものに還元することができます。


 お金とは、究極的には、エサの変化した形である


ということでもあります。


 この章の最初に、仕事をするということはエサをゲットすることに他ならないという話をしましたが、「お金」もエサの変化形に過ぎないことを覚えておいて損はないと思います。


 その最も重要なポイントは、「エサもお金も、死んだらあの世へは持って行けない」ということではないでしょうか。


 エサとお金は、本来同じものですから、「生きているためには必要ですが、死んだら不必要」なものであるところが共通しています。

 そして、「できるだけ貯めておいたほうが、豊かに暮らすことができる」という面でも、エサとお金は共通しています。




 明治維新までの日本では、エサは本当にお金と同一のものでした。

 お米がどれだけ取れるか、ということを石高といいましたが、武士の給料の値段は「石高」で決められていました。加賀百万石なんてことばが残っていますが、加賀という地方・加賀という藩では1000万石の米が取れるので、それだけ食料と財政が豊かだったということを示しているわけです。


 江戸時代の武士は、領地から取れた米や領民から納められた米を商人に渡して「米からお金に両替」してもらってお金を使っていたくらいです。

 それほどまでに、米はすなわちお金だったのです。



 この「高校生のための人生の教科書」の一番はじめの章で、なぜ



 土地を持っているかいないかが人生を大きく左右する


なんて話を書いたのかと言えば、太古の昔、弥生時代からずっと日本人は「土地で米を作ってそれを食べて暮らしたり、それを貨幣として使ったり」してきたからです。


 土地を持っている=米を作ることができる=お金を生産できる


というサイクルが、延々と何千年も繰り返されてきたのです。私たちはその末裔なので、まだ「実家の土地がある」とか「おじいさんが米を作っている」とか、そういう



 土地と米とお金


の呪縛を受けて生活していることを理解すべきです。





 ところが、イギリスの産業革命以来、「食料を中心とした経済」から、いわゆる本物の「お金やサービスを中心とした経済」へと経済は変化してきました。


 現代人の大半は、「お米を作ることがお金になる」というということよりも「コンビニやファーストフードで働けばお金をもらえる」ということに関心が行くようになったわけです。


 しかし、それは日本の歴史でいえば、たったここ40年とか50年くらいのことで、戦後すぐの60年前にはまだまだ食料を作って食べることのほうが重要だったということも忘れてはなりません。


 では、これからの40年後とか50年後とか60年後には、世界はどうなっているのでしょう。


 あなたが今なりたいと思っている職業が残っているかどうかも、実はまったく定かではないのです。


 あなたはどんな仕事をして、どんな職業につきたいと思っていますか?


 昔はバスの車掌さんという職業がありましたが、もうありません。トラック運転手には助手という人が一緒に乗っていましたが、今はもうありません。(助手席という言葉だけが残っていますね)



 工場で働くイメージを持っている人がいるかもしれませんが、工場はほとんどすべてアジアやアフリカの別の地域に移動しているかもしれません。


 サラリーマンになると思っている人がたくさんいるでしょうが、サラリーマンはみな毎年更新の契約者になっているかもしれません。


 職人になろうと考えている人は、たいていの製造現場はロボットに置き換わっているか、外国人が担当しているかもしれません。


 セリーグは残っているけれどパリーグは無くなったとか、そういうことだってありえます。実際、私が小さい時には「阪急ブレーブス」や「南海ホークス」があったのですが、なくなりました。




 そろそろまとめに入りましょう。つまり、簡単に言えば「仕事をする」ということは、その時代、その時に必要な何かを人間の手で作り出すことではあるのですが、その形は一定ではないということです。

 なので、仕事の形やスタイル、職業名にこだわるのではなく、「エサをゲットして生きる。生き延びる」ということにきちんと軸足を置いて生き抜いてほしいのです。


 仕事をするということは、どうやってエサをゲットして生き延びるかということに他なりません。それは遥か昔から何も変わっていないのです。


 もうひとつ忘れてはいけないことがあります。


 それは、「何かをしたらお金が自動的にもらえる」ということは、実は当たり前ではないということを知っておきましょう。

 バイトをしたら給料が出るとか、就職したらお金が手に入るとか、そういうことは自動で起きているわけではありません。


 もともとエサですから「みんなでエサを取る行動に関わって、エサが取れたら解体してみんなで分ける」ということが給料の本来の仕組みです。


 ですから、あなたの仕事によって、どこかからエサをたくさんゲットできているかどうかを考えておかなくてはならないのです。


 あなたが言われたとおり「あんなものとかこんなものを作っていた」としても、それがどこかで誰かに売れていなければ、あなたはいつかクビを宣告されます。


 あなたがたとえ莫大な商品を売りさばいたとしても、どこかで誰かがそれを作っているので、その人たちとお金を分け合わなくてはいけないのです。


 お給料とは、エサの分け前のことだったのです。あなた1人の努力で得られるものではありません。


 

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