今年の大河ドラマのネタが吉田松陰の妹だそうで。さすがに前回の「軍師官兵衛」がよくできていたので、新作の「花燃ゆ」は視聴率では苦戦しているようです。
しかし、吉田松陰という人。明治維新の思想的バックグラウンドとして世間では大変に高く評価されているようですが、私は個人的にはちょびっと懐疑的な気持ちもあります。
吉田松陰先生と松下村塾はすごい!!
というなんだかよくわからないけどyoutuberはすごいらしいとか、facebookとザッカーバーグはIT維新の上ではすごいらしいよ、みたいな
詳しいことは知らんけど有名だからすごいんじゃない?
病に冒されがちなのは、日本人の悪いところです(苦笑)
で、じゃあ。吉田松陰氏はどんな主張の原理主義者だったのかをあらためて確認してみると、以下のようになります。
①まず、兵学者 (山鹿流)
・・・うーんと。実戦に出てないタモガミさんみたいなものをイメージしてください。基本軍人ベースでものごとを考えている人です。
②国学原理主義者
・・・日本は神の国であるという皇国史観のベースになった人です。本気で日本は神国だとお父さんから叩き込まれているので、外国に負けないように皇国日本を最強にしなくてはいけないと考えています。
③侵略主義者
・・・すべての中国・韓国の人の敵、それが吉田松陰です。日本が富国強兵したらまっさきに韓国からフィリピンくらいまで制圧してしまえ!という考えの持ち主で、実際日本軍はその通り実行します。
明治軍国主義者の原点は、すべて吉田松陰にあるといっても過言ではありません。
④テロリスト(未遂)
・・・老中、間部詮勝の暗殺を計画したのは誰あろう吉田松陰その人です。自分の考えに合わないやつは殺してしまえ!というかなり強烈な問題児ですね。
まあ、そんなことをずっと主張しているものですから、そりゃ幕府としては「斬首」せざるを得ません。
ところが、日本人というのは若くして死んだものに対する判官びいきがひどいので、
「先見の名を持っていたのに、間違った幕府によって殺されたかわいそうな正義の人」
という見方をするようになります。
ち、ちょっとまってよ!!
おいおい、そうじゃなくて吉田松陰のやっていることは、紛れもなく
日本を軍国主義化させ、戦争へとつきすすみ、天皇を帝国主義へとまつり上げた思想的源流そのもの
じゃん!
なんぼなんでも、もうちょっと客観的に見ようぜ、ということになるわけで(笑)
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まあ、そんなわけで現代の我々からみれば、たしかに封建社会の江戸時代から明治という新しい時代へと変化する上でもキーマンとなったことは確かではあるけれど、その思想方法が
正義であったか
と問われればハテナをつけずにはいられない人物ということになるでしょう。
しかし、過去の日本がやってしまったものは仕方ない。軍国主義化・帝国主義化はどの列強も通った道です。そう!すべての先進国が
軍国主義、帝国主義、植民地支配は正しい(正義だ)
と思っていたのですから。
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さて、それから世界は、資本主義の時代や共産主義の時代を経て、今のところすべての国が
どうしていいかわからない
時代を迎えています。
共産主義は早くもぶっ壊れているし、資本主義だって先進国は借金まみれで楽しい暮らしを先食いしているだけ、未来はどうなるかわかったもんじゃありません。
なのでイスラム原理主義が台頭してきたり、国という枠をすっとばして主義主張はテロリズムで表明したり、と大変なことになっています。
仕事は世界のうちで給料が安いところへ丸投げし続ける企業がいたりして、資本家と庶民は益々貧富の差が広がり、
ふつーの国のふつーの仕事、ふつーの暮らしが成り立たない
時代がやってこようとしているわけで。
そこで、わたくし吉家孝太郎は、いまいちど日本という国のあり方、グローバルな社会にあってのわが国の在り方をもう一度見直そうと考え
実国学(じつこくがく)
なる学問体系をこれから考えていこうと、今思いついた次第です!(今かよ)
めざすは、テロリストにならない吉田松陰。侵略思想や神国思想に染まらない
「新しい日本観(でも、もうちょっとまともなやつね)」
を生み出すべく頑張ろうと思うわけです。
国学というのは、江戸時代にはじまった「仏教とか儒教に染まらない時代の日本の宗教や感性を取り戻そう運動」です。
もちろん吉田松陰が学んだ皇国史観も、国学の中で「古代天皇家と神道」を極端に重視したところから生まれました。
そういう意味ではテロリスト松陰のバックグラウンドも当然国学にあるのですが、吉家はそうではない違うスタンスでの国学を生み出そうと決意しています。
もうすでに日本はグローバリズムも経験し、世界第二位の経済大国も体験し、バブルもやったし二十年も失ったし、少子高齢化もこれから体験できるウキウキな時代なのですが、
ぶっちゃけ理論思想をまったくもって失っているので、政治は迷走、個人は疲弊しているのが実態
だと思います。
だからこそ、新しい国学によって、日本人の中にもうすこしマシな軸足を持ってもらいたいと心から願います。これが「実国学宣言」の本意なんです。
ちなみに、新しい「国学」を「新国学」と名乗らないのは、柳田くにおちゃんがすでに民俗学の草創期に「新国学」という名前で打ち出したから。
誤解を招いてはいけないので、「真国学」みたいに真理教っぽい名前も避けて、結局
「実証主義の国学」
という意味で「実国学」とすることにしました。
さあ、22世紀には、吉家孝太郎は教科書に載っているでしょうか(笑)なーんて。
というわけで、実国学の理論はボチボチ更新して参りますのでお楽しみに。
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