いやあ、第三回にして国学っぽくなってきましたね。
どうも、現代の国学者、本居宣長の生まれ変わりこと、吉家孝太郎です。(うそ)
国学というものの、根本的な問いは簡単です。
「そもそも、日本ってどんな国なんだ」
ということ。わたしたちが、何処から来て、どこへゆくのかという、根源的哲学のベースとして、
「日本人とはなにか」
を明らかにしようと考えたのが、国学だったわけで。
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ちなみに、国学の歴史をざくざくっと解説しておくと以下のような感じになります。まあ、一般教養として、知っておいて損はありません。
<意外と遅く成立した学問 それが国学>
日本の歴史を振り返る、ということはいつの時代にも行われていたのですが、「国学」という形で「日本の本来のあり方を探る」という考えが生まれたのは江戸時代中ごろからの話です。
元禄時代に契沖というおっさんがおり、この人は僧侶でもありましたが、日本の和歌(万葉集とか)を調べる歌学者でもありました。
この人は万葉集のかな遣いをじーっと見て、元禄時代にはしっちゃかめっちゃかになっていたかな遣いの「正しい書き方はどれか」なんてことを考えていました。
さて、この契沖の弟子に荷田春満というおっさんがおり、この人は京都の伏見稲荷の神官から出て、古典や和歌について研究するようになります。
契沖も春満のおっさんも、基本的に日本の最古の文学である「万葉集」というものに大きなテーマをおきます。
荷田春満のころから「国学」ということばが使われるようになるそうですが、
「万葉集のころの日本人にこそ、日本人の源流としての生き様があるにちがいない」
みたいな考え方になり、そこに国の礎のあり方を求めるようになるわけです。
それにしても、「日本の国を万葉時代から再考する」なんてことを江戸時代にやるわけですから、その以前の時代には、あんまりそんなことを考えてなかったのですね。
戦国時代を経て、江戸時代にやっと平和になったから余裕ができたのかも。
<国学四天王により、理論完成>
国学の四大人、なんて呼ばれ方をしますが、まあ四天王でいいじゃないっすか(笑)
荷田春満の弟子に賀茂真淵、その弟子に本居宣長がおり、国学は理論的にはどんどん進化してゆきます。
加茂真淵もやっぱり「万葉集」ひいきです。
万葉集のどこがいいかと言うと、自然で素朴で原始的なのびのびとした自由があるところなのでしょう。
インドという外国から仏教が入ってくると「こうしないといけない」という制限や束縛が生まれ、それは本来の日本人の姿を制約しているのではないか、と考えたのです。
ましてや儒学(年上がえらい・武士に従え)なんてのは後付の理論ですから、それも本来の日本人らしくない、と彼らは捉えました。
本居宣長の代は、ちょっと科学的になってきます。なんといっても本業はお医者さんですから。
また、彼はそのころ解読不能だった幻の書「古事記」を研究して、35年もかけて解読してしまいます。
ここで、古代人の歴史の一端が明らかになってくるわけです。
宣長はその他、「源氏物語はもののあはれだぜベイベー」と言い出したりします。(これは今でも古典の授業で習いますね)
そしてやっぱり共通事項なのですが、「日本的な自然と調和する生き方」とか「日本的な奥ゆかしさ」を大事にしようということをテーマにして、国学は進んでゆくのです。
最後の4人目は次項で説明します。
<とんでも本?な平田篤胤>
国学最強の男、平田篤胤は、ちょっと変わった方へ進んでゆきます。
まず、本居宣長までで、外来からやってきた「仏教と儒教」をいったん取り除こうぜ、という考えに至るのですが、平田篤胤は、神仏習合していた当時の神道も「純粋化しよう」と考えます。
これがとっても重要で、平田篤胤が生きた時代はどんどん幕末に向かう中ですから、のちに尊皇攘夷はにとって
「純粋なる神道、つまり天皇家こそ重要であり、日本は神国である」思想
の源流となるわけです。
平田篤胤自身は、日本を維新するぜ!なんて思いがあったというよりも、もっとオカルトとか、宗教観とか、霊的な方に関心が移動していって、
「神の世界」「霊の世界」「この世とは違う異世界」
みたいなものを追求するようになります。
天狗小僧という「仙人の世界へ行ってきたぜ」という男が現れると彼にハマり、「あっちの世界はどうなってるんだ?」と聞きまくり本にしたりします。
そうまるで江戸の丹波哲郎(あの世へ行って来たんだから仕方ない)みたいなもんです。
あるいは平田の著作は江戸のムー(学研)と言ってもよいでしょう。
こんな風に聞くと、平田篤胤はヤヴァイ男なのかと思われがちですが、彼の理論は実はすごくよくできていて、以下の説明を聞くと納得してしまうほど最強だったりします。
<平田篤胤の理論のすごさ>
簡単に聞けば単なるオカルトマニアな平田篤胤ですが、本人はいたって真面目に
「日本人のあり方とこの世界のあり方」
について思索をめぐらせているわけで、これまでの国学の集大成として心血を注いでいますのでそれなりに面白いことを考えます。
たとえば、「死後の世界はありますか?」みたいな問題を出してみましょう。現代人なら、
「そんなもんはない」「あるんじゃない、天国とか地獄みたいなのとか」「三途の川の向こうに花畑がある的な話は聞くよね」「なんか宇宙のかなたとか空の上のほうに魂はのぼっていくんじゃない?」
みたいに答えるでしょう。
本居宣長とかは「黄泉の国」があると考えています。宣長の弟子の1人は、
「ある。黄泉の国は月にある。月読(つくよみ)という日本神話の神がその月を支配している」
と主張します。
そう、まるで死後の世界は宇宙にあるとかM87星雲のあたりにあるとか、そういう話と同類です。
ところが、篤胤は面白いことに「黄泉の国はあるというよりも、この世界と連動している」と考えました。
つまり、死後の世界というのは、「どこか高かったり遠かったり、あちらの側だったりするのではなく、その世界はまったく別個なのではなくこちらと繋がっている」と考えたのです。
たしかに、こちら側からその世界を見ることはできませんが、死んだ人はこちらを見えるところから見守っていているのだ、としたのです。
私たちが神社で参拝をしたとき、あるいは仏壇に手を合わせたとき、「神や死者は宇宙のかなたにいる」とか「切り離された別世界にいる」とは考えません。
ふつうの人であれば
「神様、受験生のボクを見守ってください」とか「ご先祖さま、家族を支えてください」とか、こちらからは見えないけど身近なちょっと上くらいのところにその存在がいそうな感じ
で祈るはずなのです。
この感覚が平田理論そのものです。そういう意味では平田くんは、日本人の心というものをよーくわかっているとも言えます。
柳田国男の民俗学の視点もこのあたりが共通しています。彼が「民俗学=新国学」と名づけたのも、そういう理由なのです。
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さて、長々と国学についてまとめてみましたが、いよいよ次回からは「実国学」の中身に触れてゆくことになるでしょう。
とはいえ、旧来の国学者が主張するように
「万葉集の時代が最高!」
とか
「日本は神国で、天皇家は神の子孫」
だとか
「あの世がどうなってるかが大事」
とか、
そういうのは流石に現代日本人からみたら「無理、ダメ。いやマジ勘弁して」であることは疑いようがありません。
実国学者であるヨシイエ自身も、激しく同意です。
では、実国学では、上記のようなポイントを乗り越えてどんなことを考えてゆくというのでしょうか。
それはこれからのお楽しみです(^^
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