2015年1月21日水曜日

<実国学を考える 2>資本主義がいきつくと世界はどうなるのか。

 今日は朝から某国?(いちおう国としておきます)による日本人人質事件のニュースで国内はかなり震撼しているようですが、フランスのように日本国内におけるテロが起きるのも、それほど遠くないことかもしれません。


 基本的に、日本という国は、「元寇」によるモンゴル軍からの侵略、「太平洋戦争」におけるアメリカからの爆撃、の2つくらいしか


 直接的外圧による攻撃


を受けたことがありません。


 それ以外は、いろいろな意味での内紛(地下鉄サリン事件などの内部の事件)はあったけれど、外国(あるいは外国の思想・理論)から攻撃を受けるということに慣れていません。


 これはとてもすごいことです。

 日本という国は、めちゃくちゃ平和な環境におかれていたということだからです。





 さて、21世紀の日本に生きる私たちは、幸せなことに「先進国で経済大国」な日本を享受して暮らしてきました。


 そう、昭和49年生まれで団塊ジュニアなワタクシ吉家孝太郎は、本当に日本に生まれて


 当たり


だったと思っています。

 
 でも、もっともっと当たりだったのは、やはり私の父母の世代です。


 うちの親父は昭和20年に生まれて、今からちょうど3年くらい前に死んでしまいましたが、63歳で死ぬにはちょっと若すぎるとはいうものの


 戦争をしらずに、おやじは生まれた。♪ 戦争を知らずに、おやじは亡くなった。♪


という意味では、本当に心から


 ああ、彼らは心底平和な時代に生まれて、そしていい時代ばかりを経験して、良かったなあ


と思います。


 親父が死んで数日後、東日本大震災が起こりました。原発があんなことになる、ということも知らずに、親父は幸せ日本の幻影を抱いたまま亡くなりました。


 きっとそれはそれで、ある意味幸せなことだったのだろう、と思います。

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 さあ、ひるがえって私たちの時代は、戦争や紛争、テロの陰がちらつきはじめ、日本だけでなく世界がややこしくなりそうな予感に満ちています。


 今日現在は、私の人生はまだ当たりかもしれません。


 でも明日はどうなることか?


 こどもたちの時代はどうなることか?


 こればっかりはどうにも怪しい予感がします。未来永劫平和な時代が続くとは、どうにもこうにも思えない、そんな今を私たちは生きています。




 実国学(じつこくがく)


という新しい理念を提唱するに当たって、基本的には、セカイの情勢の中で「揺れ動き、戸惑う」日本人の中に、しっかりと大地を踏みしめることができるような


「軸・中心・基本理念」


のようなものを構築したいと考えています。


 諸外国の圧力が押し寄せてきて、幕末の日本人は戸惑い、揺れ動きました。そのとき、彼らは皇室を中心とする皇国史観に軸足をおいて、明治維新を乗り切ったことはすでに明らかです。


 しかし、皇国史観と天皇中心主義は、帝国主義へと結びついて戦争へと日本人を導きました。



 明治維新は、新時代の「良き面と悪き面」を一緒に併せ持った日本社会を生み出してしまったわけです。



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 ところが、戦後の日本は、「経済発展」を軸足に復興を果たし、今のセカイにおける地位を手に入れました。


 ついこの間まで、「日本人は荒れた戦後から一生懸命頑張って、経済復興を遂げたんだ」と思い込んでいましたが、どうもよく調べてみると


「先進国が、人件費の安い後進国にモノを作らせると、仕事がそっちへ行って、そこが経済発展する」


というロールモデルが存在することを知りました。


 おお!なんだ、だから中国も韓国もおんなじように発展するんだね。それも日本人より早く。スピードアップしているじゃん。


ということがわかってきたわけです。一生懸命とか、あんまり関係なく。安い賃金に仕事を回せばそこの賃金が上がるだけ、なのでこれからアジア諸国やアフリカでもおんなじことが起きそうな予感がしています。



 じゃあ、先進国になってしまった国はどうしたらいいのでしょう。アメリカも頑張ってますが、実は必死です。戦争し掛けるビジネスモデルもうまくいってないし、先進性のある商品を最先端の企業が開発してそこだけ儲けるビジネスモデルも、「後追いのスピードが速すぎて疲弊」しています。


 アップルVSサムソンとか、小米の台頭とか。このやり方も完璧ではないのです。




 ちょっと視点を変えて、もっと昔に経済大国を体験してしまったイギリス(産業革命)なんかはどうでしょう。ぶっちゃけ、ヨーロッパだって、政治的にも経済的にも行き詰まり、なんとかユーロを導入したもののギリシャのせいであのありさまです。



 うーん。こりゃどうもまずい。



 セカイは、どうやら資本主義の行き着く先を、知らない!!!


 資本主義を超えるような、新しい理論理念を見失っている!!!



ことが明らかになってきたわけです。


 日本もアメリカも、借金をして「今、ちょっといい生活」を先取りしているだけで、金融工学かなんか知らんけど、簡単に言えば、「先食い」しまくっているだけです。

 インフレだの金融緩和だの、FXだのGDPだの好き放題なんぼでも言っていいです。何はともあれ、今お金をローンで借りて、いい生活してるだけなのです。




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 というわけで、セカイの政治経済理論は、いつか破綻するわけですが、(その前に日本経済が破綻するかもしれませんが)そんな脅威が押し寄せている今だからこそ、



私たちはどこに軸足をおいて、資本主義のその向こうを乗り越えるのか



を考えなくてはいけません。


 これはセカイ共通な理論の部分もあれば、日本人ならではの個性に属する部分もあろうと思います。


 日本人のアイデンティティとしての「その乗り越え方」が、私の考える実国学


です。




 ちなみに、今現在の世界情勢で言えば、「後進国に仕事を回して、そこに経済圏が生まれ、そこが経済発展して、先進国もモノが売れる」というビジネスモデル(日本や中国でやったやつね)をとりあえず繰り返して


 今のところはこのやり方でもうちょっとしのごう


としているだけです。


 まだ、アジアやアフリカに、その域に達していない国がたくさんあるので、そこが全部経済発展するまではこのやり方は通用するだろう、と考えているわけです。


(でも、そこで抜けている視点は、経済発展して維新しちゃった国は、発言力も増すので戦争したくなる病が生まれることが忘れられてます)


 これから、アジアやアフリカで、中国に匹敵するような経済発展が生まれたら、中国に匹敵するような好戦状態も生まれることでしょう。


 悪いけど、そんなことまで先進国は手当てできません。戦争したらまた金が動いてもうかるな、ぐらいにしか考えていないアホがバックにいるだけで、彼らは絶対に兵士として前線にはいかず、お金だけ動くからですね。





 というわけで、池上あきらさんにどうしていいか教えてほしいくらいですが、池上さんも困ってしまうので、吉家孝太郎は自分で考えることにします。


 まだ、実国学の中身に全然入ってませんが、今日はこのへんで。

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