2015年1月30日金曜日

<実国学を考える 4> 国とは何か、なんなのか。国家とは、そして日本とは。

 国とは何か。いやあ、のっけから壮大なテーマですが、ここはゆるーく平たく考えてみたいと思います。


 すっごくゆるく考えた場合、中国という国は、名前からみると


「世界の中心(中)で、いちばん(華)なんだもんね」


という国です。そういう主張をしている国だということになります。



 日本という国は「日のもと」ですから、「太陽の昇る国」でしょうか。まあ、聖徳太子が誰かがそんな手紙を中国の皇帝に送っただのなんだのという話を昔学校でならったかもしれません。

 日本の神道の中心である、アマテラスオオミカミは、太陽神ですから、太陽を祭る国、という意味でも合っています。また、皇室はアマテラスの子孫とされていますので、国家の成り立ちという意味においても太陽を国の名前に掲げることは、まあ合っていますね。




 とまあ、国の名前で考えましたが、他にも国を定義するものはいろいろあります。




 イスラエルという国は、もともと住んでいた土地を異民族に奪われたりいろいろあったので、「もとの地に帰ろう」ということで、神殿のあったエルサレムを中心にユダヤ人が戻ってきた国です。

 ところが、うん千年もの間に、もといた場所は違う民族が既に住んでいたりして、そこからアラブの人を追い出したので問題になっています。


 しかし、聖書には、「ユダヤの民にこの地を与える」なんて書いてあるもんですから、ユダヤ人は

「神様がこの土地をくれたのだ!」と主張しているわけで。


 まあ、中東はそんな感じで紀元前から何千年も戦いやら戦争やら紛争を起こし続けています。

 その基本的な原因は、その地が「砂漠・荒野」だからであり、「砂漠の民」なので、水と緑を求めてさまよい歩いたり、紛争がおきる、というのが根っこの原因だったりします。


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 こんな風に、国というのはそれぞれいろんな事情を抱えており、そうした風土や成り立ちが現在の政治や情勢に大きく影響を与えているのですが、


 実国学から見た、「日本」という国は、かなり世界でも変わった国


だと言えるかもしれません。



 まず、国境は海によって隔たれていますから、隣の国と直接的に「土地の紛争」をあまり起こしていません。

 現代では尖閣諸島とか、竹島とか「はしっこのほうの小さな島」レベルでは紛争がありますが、他の国のように国境線が地面にだーっと引かれたりしていないので、基本的には


「ここからは日本、ここからは外」


という感覚がお互いに(外国からみても、そうってこと)染み付いています。このおかげで、これまでの歴史の中で、「異民族と戦争しまくる」ということがかなり少ないということは特筆すべきだと思います。




 次に、山と海があり、火山活動もあることで、基本的に大地の恵みが豊かだといえます。海の幸があり、山の幸があり、温泉が出たり、土地の変化があったりと、


 多様な自然のダイナミズムに囲まれている


といえます。地球上の地理的に言っても、四季があることで、かなり豊かな自然の恩恵に預かることができているわけです。


 これは、常夏の民とか常冬の民とか砂漠の民から見れば、かなり恵まれている当たりだと思います。





 なので、宗教においても、日本人はかなりまったりと穏やかです。


 たとえば砂漠の民が信仰するのは「正しい神を信じなさい。それ以外は滅びます」とか「異教徒は滅ぼして、あなた方にこの地を与える」とか、かなりハードです。これは、砂漠ですから元々のパイが少なく、そのパイを奪い合うのでこういう神様になるわけです。


 で、現世でいい思いができない可能性がある宗教だと「なので、来世とか天国では幸せになろうね」という宗教観ができます。だって、現世は砂漠だからです。



 日本の場合は、四季があり、自然が豊かですから、単純に「すべてのものに神様が宿っている」というアニミズムになり、かつ、基本的には飢えたり渇望していないので、


「五穀豊穣・子孫繁栄」


が願いの中心になります。全部、現世の話、今の話、現在の話です。あんまり神社に行って、

「天国にいけますように」とか「来世は幸せになれますように」

とかあっちの世界の願い事をする人はいません。


 そう、神社では「試験に受かりますように」とか「家族が幸せであるように」とか、「病気が治りますように」といった、


 ズバリ、現世で、今で、なう!


のことしか願わないようにできています。そうです。日本人には、基本来世の概念がなく、仏教が入ってきたことで「輪廻とか来世とか天国とか地獄」が生まれたわけです。(これは、もともとヒンズー教の考え方です)



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 こうしてみると、日本という国は、キリスト教やイスラム教の国のように、「あっちの世界で(天国で)神様にどう判断されるか」といった考え方はあんまりしない国だとわかります。

 単純に、


「今日もごはんがおいしくて、できれば災害がなくて、子供達が笑顔だったらよいね」


ということを繰り返している民族であり、国家観なのですね。


 実際、政治を今は司っていない天皇家は、毎日何をしているかというと、神道の儀式をして、「国民の幸せ」をいつも願っているのが仕事です。

 「ほにゃららの祭り」とか「はにゃらら祭」とか、いろんな儀式をしていますが、先ほど話したとおり、日本の国は現世のことしか考えないので、結局は


「五穀豊穣・子孫繁栄」


を祈るまじないをしている、ということなわけです。天皇家は神主さんの家系ですから、日本全体に対して、毎日幸せを祈っているのが仕事なのです。


 まあ、こんな感じで、「国学」的視点から見ても、日本国民がなぜ穏やかで平和な暮らしを好むのか、ということがなんとなくわかると思います。


 本居宣長たち国学者が言ったように、万葉集がすべてで原典であるかどうかは別にしても、基本的に私たちの国は


 自然に囲まれたどちらかと言えば豊かで恵まれた土地に由来した国


であると言えるでしょう。











 







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