2020年4月7日火曜日
『資本主義をチートする』を書いた ~裏ばなし~
bloggerさんでは、ずっと「資本主義をハックする」というタイトルで、いろいろな記事を量産してきたのだけれど、それらを一回きちんと整理して、
一体資本主義とはなんぞや
ということを、庶貧民である僕たち私たち目線でまとめたものをnoteに書いてみました。
つい先日、ようやくそれが一段落して、まとまりができたので、こちらでも紹介しておきます。
資本主義をチートする 「年収300万だった僕が、所得倍増計画で取締役になれた理由」
https://note.com/yoshiie_koutaro/n/ndc7f413c90f7
この記事が第1回で、最終回とあとがきまで含めて全19記事がセットです。
話の大枠は、こちらのブログでも書いていた「資本主義をハックする」シリーズに準じているのだけれど、一般公開では書かなかった
「個人的な情報や、実際の起業・副業の秘話」
も書いているので、その部分は有料になっています。
ふだんから、こちらでも「いろんな名前を使い分けて、ちっちゃなビジネス的なことをしている」話は書いてきましたが、それらも全部有料の中では明かしております。
==========
我々一般庶民には、「資本主義」という大きな存在はなかなかわかりにくかったのだけれど、それを経済などには疎い一般の素人である私が、「こうかな、ああかな。こうでもない、ああでもない」と考え抜いて出した答えが、ある程度は見つかったような気がしています。
僕らは、なかなか「資本家」にはなれないし現状ではまだなっていないのだけれど、「資本主義のあちら側」へ立って、「資本家」側になれば、見えてくるものが増えることは確かです。
僕たち私たちは、なぜ現在貧しいのか
と
そこから脱却するにはどうしたらいいか
を、手のとどく範囲から説明しながら書いたので、よろしければぜひ。
結論から言えば、「バクチに手を出す」以外では、一発逆転はありません。
しかし、資本主義のしくみをよーく見ると、瞬速で勝利しよう!なんておこがましいことを思わなければ、
ある程度時間をかけて、資本主義を乗り越える
ことは可能だと判明してきました。
ですから、個人的には、現在不遇な人や、弱者である人に、(時間はかかるものの)、考え方や視点を変えて、中長期的な勝利を目指してほしいと思っています。
今回の「資本主義をチートする」では書ききれなかったこともいろいろあります。ここから先はもう少し雑多な内容になってしまうかもしれませんが、足りない部分は今後補足していこうと考えているので、いましばらくお待ちくださいませ。
ラベル:
ライフハック,
資本主義,
資本主義をチートする
2020年4月1日水曜日
DELL WYSE Xx0c (シンクライアントノート)は買いか?否か?
定期的にヤフオクあたりでしょーもないものが出ていないかウォッチしていたのですが、
DELLのシンクライアント WYSE ノートの中古
がえらい安く出ていたので、リサーチ。
こういう感じの。
WYSEというのは、元々は、1980年代からターミナルの端末なんかを作っていた会社のようで、その関係か
サーバー+シンクライアント
なクラウドぶら下がりモデルを得意とするメーカーみたい。2012年にDELLとくっついていますね。
さて、この中古シンクライアント Xx0C(X90C) が 2台で1600円 ぐらいからヤフオクで出ているので、
むちゃくちゃ安いな
と思って調べてみたのですが、 結論から言えば購入見送り。
■ 11.6インチ液晶
■ シンクライアントなのでHDD等なし
■ メモリ2G
■ Intel Atom Z530 1.6GHz
やっすいんだけどなあ、CPUが
今さらのAtom ♪ (はじめてのアコムみたいなノリで)
■ WEBカメラ内臓
とか、今っぽいところもあるのだけれど、Z530は 2008年くらいのCPUで、ネットブックもどきみたいなのに使われていた頭脳です。
まあ、シンクライアントなので、「端末はアホでもかまわない」といえばそうなのですが、さすがに改造してノートPC代わりに使うのはしんどい。
おなじような中古シンクライアントだと、吉家がずっとオススメしている、
Fujitsu FUTRO MP702
という名モデルがあるので、こちらもヤフオク実売1台2000円くらいなので、HDDをつけても2500円+運賃くらいで仕上がります。
まあ、WYSEのまるっこいデザインは、嫌いではないのだけれど。
いやあ、それにしても今更Atom Z530 は、あかんで。
2020年2月26日水曜日
インフルエンザにかからない身体になってしまった!
すこし前にもレポートしたのですが、家族全員がインフルエンザに罹患してつぎつぎに倒れてゆく中、私だけ全然元気だという謎がありました。
私だけインフルエンザにかからない!
https://kotaro-yoshiie.blogspot.com/2020/01/blog-post.html
その時は5人家族中、私以外の4人が「インフルエンザA」にかかってしまい、みな高熱を出して寝込んでしまったのですが、私は微熱程度が一日あったものの、
未発症
でやりすごした次第です。
それからしばらくして、なんと今度は、息子が学校でもらってきたらしく、今度は
インフルエンザB
にかかったようで、これまた高熱を発しています。
もはやインフルコンプガチャの様相を呈していますが、いま流行のコロナがやってきませんように!と祈るばかりです。
おまけに今朝からは、娘のほうも高熱を発しており、またまた2回目の
「家庭内パンデミック」
みっくにしてやんよ
なのか!と恐れおののいております。が、わたしは元気です。
==========
これで、今回も私だけ平気だという結果になれば、インフルAもインフルBもクリアです。
よほど遺伝子が変化したへんてこなインフルでないかぎり、
インフル無敵ボディ
を手に入れたことは、確率が上がってきました。
これもみな、ギランバレーにかかったせいなのでしょうか。
それともバイオハザードのアリスのように、私はもうジョヴォヴィッチしてしまったのでしょうか!!
今後の解明が期待されますね。
2020年1月29日水曜日
■【資本主義をハックする25】 終身雇用は守れるが、年功序列は維持できない
終身雇用や年功序列が維持できず、すでに契約社員や派遣社員を含めて「労働」の形態が大きく変動している昨今ですが、今回は
資本主義をハックする
という観点から、この終身雇用と年功序列が維持できるのかできないのかについて考えてみたいと思います。
とても簡単な思考実験ですから、ぜひみなさんも考えてみてください。
私はふだん、とっても小さな中小企業の取締役という肩書きで経済活動をしていますが、儲かるとか、儲からないとか、会社を維持できるとか維持できないとかは、実はとてもシンプルです。何も難しいことはありません。
弊社は卸し業を営んでいるので、シンプルに利益が2割あるとしたら、
年商1億円で利益は2000万円
ですから、会社経費をゼロと考えた場合年収500万円の社員(わたしも入れて) が4人雇えるに過ぎません。
実際には、会社経費、社員の年金等の負担もありますから、社員一人あたり倍かかるとして、2人しか雇えないので、3人目を採用したら破綻に向かいます。
とてもシンプルですね。
こうした観点で見てゆくと、弊社の歴史は40年近くありますが、
「社員が市場に対して多かった年は赤字、社員が市場に対して少なかった年は黒字」
であることがシンプルに判明します。
ここには、正社員なのか、年齢が高くて給与が高い社員なのか、若い社員なのか、パートの事務員さんがいるのかいないのか、など、一見細かそうな要素がたくさんありそうに見えますが、
現実には、「有能な社員」であれ、「無能な社員」であれ、「年齢が高い社員」であれ「年齢が低い社員」であれ、年間500万円を支払うのかどうなのか、リアルに倍として1000万円を社員経費として使えるのか使えないのか、という大枠で考えてゆくと、個々の事情は丸め込まれてしまうので、関係なくなります。
この社員は能力が2割高いとか、この老人は給料が年功で高いとかそういうのは500万が600万・700万になるだけ(100万~200万しか増えない)なので、大勢には影響をほとんど与えないのです。
それより5人の社員が7人になれば、そこで2500万が3500万円になるので、1000万も増えてしまう!ということがおきます。
要するに人数なのです。
==========
従って大企業が正規社員を減らして、人数を増やしたり減らしたり自由にできる「非正規雇用」にシフトするのもよくわかりますし、昨今流行の45歳以上の中堅社員を一斉にやめさせようとしているのもよくわかります。
一般的には、「新卒を1000万円で雇うために中年を減らそうとしている」なんて話がありますが、もちろんそれもできます。人数さえ減れば。
年収500万の社員を10人辞めさせて、年収1000万の社員を3人雇う
だけで、能力も上がり、かつ2000万円のお釣りも出ます。すごくラッキーです。
==========
比較的大きな企業にいると、その理屈がちっとも見えませんが、うちのように小さな企業だと、露骨にそうした事態が目に見えます。
そして、市場の縮小の大きさは、個人の営業努力の規模よりもかならず大きいので、どんなに頑張っても人数問題には勝てません。つまり、努力や能力は一切関係なく、すべてはシンプルに人数の問題なのです。
==========
さて、ここで思考実験です。私達はすでに少子化社会に生きていますので、これからの市場は単純に減少します。
今年1000あった市場規模は、来年には980になったり、890になったりしているのが、どこの企業でも直面している事態です。
となると、ここで実験的に、全ての人口が雇われているという完全なる会社、「完全会社」や全ての人口が就労しているという「完全社会」が存在しているとすれば、
今年は1000の市場規模を、すべての社員に1000分だけ配当することができる
ことは誰にでもわかると思います。(経費等はいっさい考えないとして)ところが、それが翌年に980の市場規模になったとすると
全ての社員が前年比98%の給与で我慢できるのであれば、「完全会社」「完全社会」は維持できる
ということになるでしょう。
これを繰り返してゆけば、市場の上がり下がりに連動して、給与の上下が認められさえすれば「完全会社、完全社会」は維持できると言えます。
つまり、終身雇用の維持はそれほど難しくありません。
ただ一点、給料が減少することが許される
のであれば。
一般的な中小企業では、市場にあわせて「減少」させるという荒療治は行えないので、「給料据え置き」という形でなんとか踏みとどまっているのが実情です。
=========
終身雇用は維持できますが、年功序列は維持できません。なぜか。これも資本主義ハックの理論で説明ができます。
20歳の新入社員がすこしずつ給料を上げてもらって、最初20万円から、65歳定年時に65万円にアップしているという分かりやすいモデルを組み立てましょう。年あたり1万円昇給です。
ここで、また完全モデルの会社を作ってみます。20歳から65歳までの社員が1人ずつ、45人在籍しているという会社です。
この会社では一人新入社員が入ってきても、一人定年でやめていきます。ということは、会社が社員に対して支払う給与の総額は
「毎年おなじで、一切変動しない」
という完全会社であることがわかると思います。かつ、社員内部からみれば、全員が確実に昇給する年功序列の会社です。
さて、この会社が維持できる世相というのはどのような経済状況でしょうか。まず、65歳から20歳まで45年間ありますから、創業から45年経っていないと完全状態にはなりません。
創業45年以降は、完全会社として総支払額が変わらず運行できます。
ところが、創業45年までは、給与の支払額は増え続けます。
今年創業したとして、「20万円が一人」、来年は「20万円が一人と21万円が一人」、さ来年は、「20万円、21万円、22万円」と
アホみたいに給与総額は、45年間増え続ける
のです。ようするに、完全会社になるとは「それ以上給与総額が増えない」ということだけです。
完全会社になれば「負担が増えずに年功序列を維持できる」ことは理論上わかるのですが、実は45年も創業しつづけることが至難の業であることは、まともな経済人であればわかると思います。
もうひとつ、45年間給与総額が増え続けても、大丈夫な状況となる世相があります。それは、「毎年確実に経済成長している」世界にいるときです。
その社会全体の成長角度が、20万円から1万円ずつ増えてゆく成長角度より余裕がある場合にのみ、完全会社は成立してゆきます。
あるいは完全会社が成立してしまえば、経済成長が平衡である社会でもギリギリ成り立ちます。
ただし、その場合は45年経つまでに、多くの会社が脱落するでしょうが。
=========
ここまで書けば、どうして大企業と呼ばれる一定の企業群が、終身雇用と年功序列を維持できたかがわかると思います。そこには
「高度経済成長時代からの社会的余力の長期的な集約」
があったからこそ、大企業が存在できたのだとわかるのです。(すべてがそうではないですが、これに当てはまったラッキーな会社はいくつもあったということです)
旧財閥系なんかが、徐々に体力を落としながらもやってこれたのは、長期に渡る擬似的な完全会社が成立して、かつ、その上昇カーブよりも社会の上昇カーブのほうが大きかった期間が長い、からこそ持ちこたえたということかもしれません。
==========
以上のように、企業をとりまくシステムはとてもシンプルですから、右肩下がりの社会では、すでにこれまでのような年功序列は維持できません。
A 会社にいる人数を物理的に減らすことで、一人当たりの分け前を維持する
(大企業45歳やめさせる説)
か
B みんなでなだらかに賃金が横ばいもしくは、やや減少ぐらいのあたりでソフトランディングをめざす
(中小企業、ボーナスなんてここ数年ないよ。給料は変わんないし説)
か
C どこか脱落した会社のおこぼれをひろうことで、自社だけはちょっと増えちょっと下がりを繰り返しながらフラフラしたカーブ描く
(生き残り、という名の死にぞこない説)
かのどれかしかないわけです。
2020年1月28日火曜日
【資本主義をハックする24】 貧困はかならず自然発生する
まいどおなじみ「資本主義をハックする」のシリーズです。
小学生に起業させたらどんなことが起きるか、という面白い実験の話があったので、紹介がてら考えてみたいと思います。
なぜ日本の学校は「お金」について教えないのか(プレジデントオンライン)
https://president.jp/articles/-/32450
この話、実に面白くて、「アクションワールド」という仮想的な通貨を作って、教室で流通させたら何が起きるか、というお話なのですが、もちろん「子供たちにお金について考えさせる」という素晴らしい面があるのと同時に
「そこで貧困が発生した」
という点が、資本主義ハッカーとしては見逃せないポイントだと考えます。結果論からいえば、資本主義である限り淘汰が発生し、富める者と貧しい者が自然発生することは当然なのですが、小学生における擬似実験でもその通りになったことは注目すべき事態ではないでしょうか。
この実験の中で生じた経済行動、活動は以下のような感じです。
■ 仕事にありつこうと順番待ちが生まれる
■ それぞれが会社をはじめてサービスを立ち上げようとする
■ 消費が進まないとデフレが生じる。
■ お金を溜め込もうとする
■ 優先的立場の取り合いが生まれる
■ 宝くじ・ギャンブルを売り出すものが現れる
■ 公的銀行による通貨投入
■ 不動産(土地)の高騰
■ 多様多彩なサービスが自然発生する
■ 借金がかさんで貧困になる個体が現れる
教育活動における実験という意味では、「借金が膨れ上がりどうにもならない生徒」が発生したことによって、消滅を迎えたそうです。
元ネタの記事では、著者さんが、ある意味するどい観察をしているのですが、
『その借金で困った子たちは自分からまったく動かず、誰にも助けを求めようとしなかった』
という点は重要です。
著者さんは、基本的には強者の論理で動いているので、「助けを求めてくれればどうにかしてあげられた」という強い確信がありました。しかし、実際には、弱者は助けを求めることはしません。
ここが、大きなミソです。
私は学校教育に携わっていて、どちらかといえば弱者が自然に集まってくる学校にも赴任したことがあるため、彼らの行動パターンや心理というものに精通していますが、
「行動を起こさないからこそ、弱者なのである=弱者になってゆくのである」
ということもまた言えるのです。
橘玲さんの論説ではありませんが、国の制度や公的システムというのは偏差値60ぐらいの人が活用できるように設計されています。
それは偏差値40の人には、活用しようにもそこへサービスを求めにすらいけない、ということを示します。
教育実験としては、それを踏まえて、「強制的に富の再分配を行う」ことが必要だったのでしょうが、それは奇しくもピケティの「21世紀の資本」そのものということになるでしょう。
しかし、教育現場では、それを行わずに「消滅」させることにしたのは、良策であると思います。
もし、富の強制的分配を行えば、何が起きるか。
小学生レベルでは「俺は頑張ったのに、あいつは再起のチャンスが与えられて、ずっこいわ」という感覚が広がるでしょう。
そして、もっとイヤラシイことを言えば、「なぜ再起のチャンスが与えられるべきなのか」の論理的説明がある一点を除いてできなくなってしまうことも予想されるのです。
その理由とは
「世の中には、能力が低い人間がいる」
ということを、「能力が高い人間」に悟らせてしまう結果になるから、にほかなりません。
現実社会ではこの通りなのですが、教育現場で小学生からこれを見せ付けてしまうのは、あまりよろしくないということは、誰にも納得できうることだと思います。
=========
もし、万人の能力や活動が平等で、擬似的経済活動の中で、「一発当てたり、資産をがっつり築くものと、そうではないものが生まれる」ことが、偶然の産物であったり、「誰でもどちらの立場にもなる可能性がある」ものであるとすれば、この教育実験はそもそも不要です。
つまり、この世界で成功するか貧困になるかは、偶然の産物であるということですから、 実社会に出ても当たるか外すかは運しかないことになります。
ところが、現実はそうではなく、「能力があり成功するもの」は、ある程度の相関で成功し、「ないものは貧困に陥る」のは、ある程度の相関でそうなるわけです。
それを可視化してしまうと、
「あいつは能力がない」
ということを示してしまうことになりかねません。これは教育上は、よいことではありません。
著者さんは、「助けを求めてくれれば、なんとかなったのに」という言葉で濁していますが、弱者や貧困者は、「その助けを求めるという行動力がないからそうなる」という点をあえて隠すことで、教育上の平等さや公平さをなんとか維持している、というわけなのです。
このあたりは、世界がその方向へ向かっているという「リベラル」自由主義と自己責任の問題を見ているようで、たいへんに面白いと言わざるを得ないでしょう。
2020年1月27日月曜日
私だけインフルエンザにかからない! ~インフルエンザとギランバレーの謎~
令和2年の1月も、もう末日がそこまできている昨今ですが、なぜか今年は、私の住んでいる関西の山深いエリアは
雪が降りません
なぜだ。そもそも、某国民的テレビドラマのクライマックスで、木村拓哉が、この町の雪山の中で猟銃自殺するシーンが有名であるほどの
雪が降る町
なのに、今年はちっとも降りません。異常気象というやつですね。
さて、そんな中ですが、うちの家族がつぎつぎにインフルエンザAにかかってしまいまして、一日ごとにメンバーがつぎつぎぶっ倒れるという地獄の所業が繰り広げられています。
小学生の男の子
幼稚園前の女の子
うちの奥さん
幼稚園の女の子
の順で、2日おきくらいにどんどん発熱してゆきます。
ところが、同じようにおなじ空間で生活しているはずのわたしは、どうも発熱もしなければ元気はつらつです。
もう十分罹患に必要な期間は経過しているのですが、十分うつっていてもおかしくないのに、今のところその兆候がありません。
そのため、毎晩寝る前には
「朝がくるころには、のた打ち回っているのだろうか!」
と恐れながら布団に入るのに、毎朝元気なのです。もうこれで4~5日くらいは元気です。
インフルエンザの潜伏期間が最長7日間あるらしいので、もしかすると明日くらいには発症するのかもしれませんが、今のところそんな感じがなさそうなので、
逆にビビッています。
「わたしはもしかするとアホなのではないか?」
と!!!(ほら、アホは風邪引かないと言うではないですか)
~~~~~~~~~~
そこで、インフルエンザについて調べていると、どうも原因はこれではないか?という仮説が浮かび上がりました。
もちろん、まったくエビデンスがないので、今後この謎が医学会で解明されることを期待しているのですが、一体全体どういうことでしょう。
そう!もしかすると!わたしがインフルエンザを発症しないのは
”ギラン・バレーにかかったせいではないか?!”
という仮説です。
ちなみに、わたくしヨシイエがギラン・バレーにかかったお話は
ギラン・バレー症候群 闘病記
https://kotaro-yoshiie.blogspot.com/2015/12/blog-post.html
その2
https://kotaro-yoshiie.blogspot.com/2015/12/blog-post_8.html
にあります。
そもそも、インフルエンザは鳥さん由来のウイルスですが、ギラン・バレーも鶏肉を食べて発症したり、インフルエンザのワクチンを打って発症することもあるという
非常に、親和性が高いというか、近い原因
がそこにあります。
ギラン・バレーは免疫についての病気なので、インフルエンザウイルスと関係性が高いのであれば、ギラン・バレーをとりあえず克服したということは、
「抗体っぽい何かができている」
ことはたしかでしょう。
はてさて、
”ギラン・バレーにかかったものは、インフルエンザウイルスに耐性が強い”
なんてことがあるのでしょうか?
もし、そうなのだとしたら、私は
「インフル無敵!」
「インフル無双!」
なボディにチェンジしてしまったというのでしょうか?
あと2日、どうなるかドキドキワクワクです。
==========
追記
この日の昼ごろから体温が37.5℃ぐらいに上がりはじめ、
「いよいよくるのか?!」
と思っていたら、夜には36℃台に戻ってしまいました。(結局半日くらい37度台だった)
どうやら、勝利したようです。
感染はしているけれど、重篤な発症の仕方をしないのだったら、わたしは
インフル無敵マン
になったってこと?!
2019年11月6日水曜日
■【資本主義をハックする23】 社長はなぜ偉いのか ~これからは”ヒラ社員”が偉くなる!?~
吉家さんはその昔ガッコウという場所で仕事をしていました。そう、いわゆる公務員です。公務員の中でもガッコウという場所は
校長・教頭・教諭
という3つしか階級がなく、そしてその階級差をほとんど感じないくらい
校長よりも、そのガッコウに長年居座るベテラン教諭のほうが偉そう
という摩訶不思議な世界で生きていました。
なぜなら校長は3年もすれば転勤してしまい、ベテラン教諭は10年から20年ぐらいそこにいることが多かったからです。
そうでなくても教諭同士の格付けはいちおう平等でしたので、 勤続20年のベテラン担任も初任者の担任も、制度的には同格で仕事ができる摩訶不思議な世界でした。
はてさて、それから数年が過ぎ、今度は民間企業で働き始めて、面白いことに気づきました。
うちの会社は本社の社長がほとんど現場にやってこないという
「お疲れ様です!」
とにこやかに挨拶をして、ふと思ったわけです。
はて、どうして社長たる存在は偉いのだろうか
と。
これまでガッコウに勤めていると、偉いはずの校長が組合に入っている教員にコテンパンにやり込められたりしている姿をみてきたわけで、まあ、ふつうの企業でも組合がうるさい会社だとそういう場面に出くわすこともあるでしょう。
うちの父親は国鉄職員で、○労の書記をしていたこともあるので
労使対等!!!
なんてことをよく言ってました。そうです。社長と社員は対等なのです。きっと。
==========
ここで本音と建前の話をします。日本人の好きなヤツですね。ホンネとタテマエ。
タテマエ上は、今話したとおり「労使対等」ですから社長と従業員は対等です。
社長が偉いわけではなく、
それぞれ「社長という役割」「社員という役割」「部長という役割」を担っているだけで、その職責(責任度合い)に応じて給料が異なる
、という建前になっています。
ところが、日本人のホンネというか実態は「身分社会で儒教社会」ですから、
立場の上のものが偉くて、下のものが下僕
ということがよく起きます。
純粋な意味での儒教社会なんて実は日本と韓国くらいしか残っていないかもしれません。
■ ヨーロッパは「階級社会」です。上流階級と労働者階級が異なり、住む世界が違うという感じです。それぞれ、出身血統によって世界が異なります。
■ アメリカは「階層社会」です。お金持ちと貧乏人がいます。 出身階級に関わらずお金で決まります。
■ インドは「カースト社会」です。家柄・血筋で決まります。
■ ユダヤ・イスラム社会は、神の前に平等です。(男女は平等ではないけど)
それらに対して、日本と韓国の儒教社会は
「年寄り、先輩が偉い」
「長男や長女が偉い」
「立場が上のものが偉い」
「階層が上のものが偉い」
「下のものは下僕」
という形です。
ヨーロッパやアメリカと比較すると
◆ 出身階級で偉さが決まるわけではない
◆ お金の所有高で、ある程度の階層は区分けされる
◆ 所有高よりも立場が優先される
という特徴もあります。このあたりは日本式独特です。
例) 資産高1億円のニートのドラ息子(父は他界)よりも、正社員が偉い
父親が日雇いでも大企業に勤めている息子のほうが、官僚のニートの息子のよりも偉い
ベンチャー企業の社長のほうが、大企業の下っ端より偉い
山田畳店よりも、吉田工務店のほうが偉い 野原設計事務所のほうがさらに偉い
もと華族の家柄とか、別にしらんがなそんなん。
例をたくさんつきつめると
◆ 現在の立場・役職という階層
◆ つぎに金銭の所有高
を中心とした身分社会が日本の特徴だとわかります。
このうち立場や役職は、組織内部では絶大な力を発揮しますので、社長と社員とでは大きな権力の差が生まれます。
ところが「組織外部」になると話が変わります。その場合はそのより外側の所属する外枠の枠組みで権力が変わるので、
「ゼネコンの下っ端社員が、下請けの吉田工務店の社長をアゴで使う」
なんてことが起きます。 この場合は、元請下請けの枠組みが組織を形成するわけです。
日本社会では、この「組織・枠組み内部」であるかどうかが重要なので、
「前田花屋の社長」と「吉田工務店の営業マン高橋さん」と「スーパーまつやまのレジ係峰山さん」
がいたとして、レジ打ちの峰山さんの子供が6年生、高橋さんの娘が3年生、前田家の坊主が新一年生だったら
「PTAでは峰山さんが偉そうに廃品回収の段取りを仕切る」
ということが起きます。
あるいはタワマンで何階を買ったかという下克上が起きたりするのも日本らしいですね。
==========
”ある組織において、上下の立場の身分が偉ぶる者と下僕を生じさせる”
という現象は、実は中国の儒教の影響で、それも徳川幕府と朝鮮王朝によって導入された朱子学の成果で、人工的なものです。
なので、日本と朝鮮にはこの朱子学的身分制度が多々残っています。
ヨーロッパでは、その時の立場ではなく出身家の血統が階級を形成しますし、アメリカではお金持ちがとりあえず勝ちです。
儒学が生まれたはずの中国は、すでに共産主義で塗り替えられています。
そういう意味で、組織における身分制度は日本と韓国だけに残る特殊なものかもしれません。
=========
話が長くなりましたが、こうした制度は人工的に生まれたものなので、制度が疲弊すると壊れてしまう場合があります。
たとえば、鎌倉幕府は「幕府が領地を御家人に与える」「そのご恩を持って幕府に奉公する」という
ギブ安堵テイク (所領安堵にかけてみた)
だったので、元寇の折に「領地が増えないのに一生懸命モンゴルと戦ったのは意味ないねん!」ということで幕府が倒れる原因になりました。
近年、ボクシングの山根会長やテコンドーの金原会長が糾弾されたように、あるいは吉本興業や関西電力のトップが叩かれたように、
「組織の統制が取れないとすぐ下克上が起きる」
のも、これらの身分制度が「内部反乱」を爆弾のように抱えたシステムであることを示します。
厳密には、組織は上から下へトリクルダウンとしてエサを下ろし続けないと、特に中間段階にいるものが美味しくないので、組織を崩壊に向かわせることになるのですが、それはまた別のお話。
さて、こうしたわけで、名だたる大企業が45歳以上の社員をリストラしはじめたように、組織における身分制度は内部にいるものにとって美味しくないので、そろそろ崩壊の兆しが見えています。
これからどんどん儒教的な身分システムは、機能しない方向へ向かうと予想されます。
そうなると「社長は偉くない」ということが現実に起きてきます。
◆ 資本家は金を出して利益を得る役回り
◆ 社長は事業全体の枠組みを統括する役回り
◆ 上司はセクションにおける分限責任を負う役回り
◆ 社員は実行するだけの役回り
ということがだんだん明らかになってくると、 社員は好きなように職場を選ぶということが起きてきます。
つまり、「自分の労働力と、職場というシステムやツールを使って利益を得る場所」が就職先になるわけですから、
「いいツールとシステムがないのであれば、おさらばである」
ということが社員のベーシックな意識として持ち上がってくるということです。能力の高い社員ほどそう考えますから、
「身分的に、おまえら社員は社長や上司の言う事を聞けばいいんだ」
という社風の会社は、
「自分でモノを考えられない、どんづまりの行くアテのない社員の吹き溜まり」
になってゆくことでしょう。そういう社員は、ツールとシステムについて考える能力がありませんから、黙ってそのままそこにいます。
というわけで、まともな会社ではこれからどんどん「偉い社員」が現れる時代がやってきます。
まるで、中世の封建社会から戦国時代へと変化したように、会社組織も戦国化がはじまるのです。
登録:
投稿 (Atom)
