2020年1月28日火曜日

【資本主義をハックする24】 貧困はかならず自然発生する



 まいどおなじみ「資本主義をハックする」のシリーズです。


 小学生に起業させたらどんなことが起きるか、という面白い実験の話があったので、紹介がてら考えてみたいと思います。




 なぜ日本の学校は「お金」について教えないのか(プレジデントオンライン)
 https://president.jp/articles/-/32450



 この話、実に面白くて、「アクションワールド」という仮想的な通貨を作って、教室で流通させたら何が起きるか、というお話なのですが、もちろん「子供たちにお金について考えさせる」という素晴らしい面があるのと同時に


「そこで貧困が発生した」


という点が、資本主義ハッカーとしては見逃せないポイントだと考えます。結果論からいえば、資本主義である限り淘汰が発生し、富める者と貧しい者が自然発生することは当然なのですが、小学生における擬似実験でもその通りになったことは注目すべき事態ではないでしょうか。



 この実験の中で生じた経済行動、活動は以下のような感じです。


■ 仕事にありつこうと順番待ちが生まれる

■ それぞれが会社をはじめてサービスを立ち上げようとする

■ 消費が進まないとデフレが生じる。

■ お金を溜め込もうとする

■ 優先的立場の取り合いが生まれる

■ 宝くじ・ギャンブルを売り出すものが現れる

■ 公的銀行による通貨投入

■ 不動産(土地)の高騰

■ 多様多彩なサービスが自然発生する

■ 借金がかさんで貧困になる個体が現れる



 教育活動における実験という意味では、「借金が膨れ上がりどうにもならない生徒」が発生したことによって、消滅を迎えたそうです。



 元ネタの記事では、著者さんが、ある意味するどい観察をしているのですが、


『その借金で困った子たちは自分からまったく動かず、誰にも助けを求めようとしなかった』


という点は重要です。


 著者さんは、基本的には強者の論理で動いているので、「助けを求めてくれればどうにかしてあげられた」という強い確信がありました。しかし、実際には、弱者は助けを求めることはしません。

ここが、大きなミソです。


 私は学校教育に携わっていて、どちらかといえば弱者が自然に集まってくる学校にも赴任したことがあるため、彼らの行動パターンや心理というものに精通していますが、


「行動を起こさないからこそ、弱者なのである=弱者になってゆくのである」


ということもまた言えるのです。


 橘玲さんの論説ではありませんが、国の制度や公的システムというのは偏差値60ぐらいの人が活用できるように設計されています。


 それは偏差値40の人には、活用しようにもそこへサービスを求めにすらいけない、ということを示します。



 教育実験としては、それを踏まえて、「強制的に富の再分配を行う」ことが必要だったのでしょうが、それは奇しくもピケティの「21世紀の資本」そのものということになるでしょう。



 しかし、教育現場では、それを行わずに「消滅」させることにしたのは、良策であると思います。


 もし、富の強制的分配を行えば、何が起きるか。


 小学生レベルでは「俺は頑張ったのに、あいつは再起のチャンスが与えられて、ずっこいわ」という感覚が広がるでしょう。


 そして、もっとイヤラシイことを言えば、「なぜ再起のチャンスが与えられるべきなのか」の論理的説明がある一点を除いてできなくなってしまうことも予想されるのです。


 その理由とは


「世の中には、能力が低い人間がいる」


ということを、「能力が高い人間」に悟らせてしまう結果になるから、にほかなりません。




 現実社会ではこの通りなのですが、教育現場で小学生からこれを見せ付けてしまうのは、あまりよろしくないということは、誰にも納得できうることだと思います。



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 もし、万人の能力や活動が平等で、擬似的経済活動の中で、「一発当てたり、資産をがっつり築くものと、そうではないものが生まれる」ことが、偶然の産物であったり、「誰でもどちらの立場にもなる可能性がある」ものであるとすれば、この教育実験はそもそも不要です。


 つまり、この世界で成功するか貧困になるかは、偶然の産物であるということですから、 実社会に出ても当たるか外すかは運しかないことになります。



 ところが、現実はそうではなく、「能力があり成功するもの」は、ある程度の相関で成功し、「ないものは貧困に陥る」のは、ある程度の相関でそうなるわけです。


 それを可視化してしまうと、


「あいつは能力がない」


ということを示してしまうことになりかねません。これは教育上は、よいことではありません。



 著者さんは、「助けを求めてくれれば、なんとかなったのに」という言葉で濁していますが、弱者や貧困者は、「その助けを求めるという行動力がないからそうなる」という点をあえて隠すことで、教育上の平等さや公平さをなんとか維持している、というわけなのです。


 このあたりは、世界がその方向へ向かっているという「リベラル」自由主義と自己責任の問題を見ているようで、たいへんに面白いと言わざるを得ないでしょう。


 










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