2015年7月16日木曜日

<実国学を考える 号外> 実国学者の視点で捉える安全保障

 安保法案の是非がうんちゃらかんちゃら言われており、盛り上がっています。


 憲法学者の大半は、日本国外で戦争体制を取れるようにすること「憲法違反だ!」と怒りを阿あらわにしています。


 一方、総理と自民党は、自衛隊が海外で戦闘できるように法を改正しているわけです。



 では、今世紀最後の国学者を自称するヨシイエさん的には、日本という国の国家安全保障はどうあるべきなのでしょう。



 実国学という視点に基づいた簡潔で明解な理論をくっちゃべりたいと思います。



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<1> 実国学とは土地をベースにものごとを考える思想である。

 わが国の主権者は政府でもなければ皇室でもない。国民である。その国民は墾田永年私財法により、ぶっちゃけ古代朝廷の影響下からすでに抜け出ており、その土地の所有という観点において主権は独立している。

 なので、国民主権が成り立ち、主権はすでに古代朝廷から委譲されていると言ってよい。

 しかし、その主権は、必ず土地によってしばられ、土地の範囲によって制限される。

 墾田永年私財法によってスタートした「土地の私物化」は、本拠地・本貫地・本領を生じさせたが、主権は本領にしか成立しない。

 というわけで、わが国が外国勢力に攻められたときには、主権を守るための活動が発動できるが、外国に出て行って主権を守るなんてことは生じない。

 ズバリ、自衛隊が活動できる範囲は、日本国内の領地においてのみである。



<2> 実国学では、専守防衛を旨とする。

 本領、本願地、本拠地は、そもそもは「新田開発」によって認められた私有地であり、他者の主権の及ばない「誰のものでもないところ」を念頭にこの国を豊かにしようという運動であった。

 ということは、すでに他者の主権が生じている土地に対して、攻撃を加えることはあってはならない。それを許してしまったが故に、わが国では戦国時代という内乱大戦争時代を経験することになってしまった。

 秀吉が発布した「惣無事令」の精神は重要である。天下覇者の下での「私戦禁止」なのではなく、互いの主権を認め合うがこその「惣無事令」を内部に持つことは重要である。


 それでも、わが国の主権を尊重せず、外国から侵入してくる敵が存在することは否定できない。なので、わが国の領内において、外国からやってくる敵を追い払うこと=攘夷運動、はあってしかるべきであると考える。

 だが、忘れてはならないのは、自衛隊は専守防衛のためのフォースであるということである。



<3> 明治維新の「尊王攘夷」と現代の実国学を比較する。

 幕末明治維新においては、幕府のほころびの解決策として皇室を持ち出した。しかし、本来皇室というのは祭祀を司る宗教集団であり、政治集団ではない。

 ぶっちゃけ、皇室と朝廷が政治的に実力を発揮できたのは大化の改新の時までだけであり、平安時代には既に藤原氏に実権を握られ、その後は武人政治(幕府)がずっと続いていることを考えれば、皇室と朝廷に政務能力を求めるほうが間違っている。

 まさに現代的に言うなれば、皇室は日本の象徴という立場こそふさわしく、もうすこし噛み砕いて言わせてもらうならば、皇室は「日本の国民の五穀豊穣と子孫繁栄を祭祀を通じて祈っていただく」ために最初から存在することを忘れてはならない。


 というわけで、実国学では尊王主義は取らない。しかし、外国からの侵略に対しては、自分の領地と家族を守るために断固として戦い、それはあたかも古代の防人のようであるべきだと考える。


 さて、幕末明治維新においては、「大攘夷思想」と称して、欧米列強に並ぶまでまずは近代化と兵力を増強して、それから外国に立ち向かおうという発想にたどりついた。

 では翻って現代はどうか。

 世界の経済大国になり、技術立国に成功した日本において、欧米列強に学ぶ必要はすでにない。

 諸外国に立ち向かうために、最先端の技術を使うことは、実は容易い。ただ、現時点では、アメリカという序列第一位の国に遠慮をしているだけである。



<4> 悪法も法である、とギリシャのおっさんが言ったらしい。

 日本国憲法が現在規定している内容が気に入らないなら、改憲すればよろしい。ソクラテスとギリシャのおっさんが「悪法も法である」といったとか言わないとかそういう噂があるが、現行法でできないことがあるのなら、ガツンと改憲したらいいではないか。

 そのギリシャも、賢すぎてかなんかしらんけど今や国家崩壊の危機にある。ソクラテスもあてにはならないが、それならいっそすべて再構築すればいいだろう。


 1から3まで書いてきて、勘の鋭い読者なら「実国学者がたどり着く安全保障の結論」がどんなものなのかは、すでに気付いておられると思う。


 そうだ。もしアメリカに遠慮することをやめる、というのであれば、わが国は自衛のために最強の武器を自分で持ち、自分で自分の国を守る代わりによそのことには口出ししない、という姿勢をとることになる。


 実国学の究極形態は、


「改憲して核兵器(もしくはそれ以上の力を持つ技術上最強の兵器)を保有すること」


になるだろう。


 それが、欧米列強を追い越してしまった国の末路だからである。




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☆ヨシイエは平和大好きです。実国学上の理論では核兵器を持つことになりますが、本当は核兵器のようなダークでグレーな兵力ではなく、一瞬で全世界を吹き飛ばせて放射能とかよけいなものが残らないような巨神兵を持つべきだと思っていますのであしからず。




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 もうひとつだけ余談。もしどこかの国が、世界征服を成し遂げて、誰も逆らえないくらいの天下統一をしてしまったとしましょう。

 その上で、秀吉のように「内部の私戦禁止」をぶちあげて、「互いの主権を尊重せよ」ということを徹底できれば、世界平和は実現できるのかもしれませんけどね。

 しかしそのためには、世界の覇者となるべき国が存在しなくてはいけませんが、残念ながら現在のアメリカは、「はいはい!」と手を挙げる気力もありません。

 気持ちの上では「はいはい!」と手を挙げたいのは中華思想を持つ中国さんなのでしょうが、これまた残念ながら実力が伴わないので難しいでしょう。

 ロシアは?EU諸国は?それぞれ問題山積です。


 まさに、世界は戦国時代に突入した、ということかもしれません。

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