日本はいわずとしれた先進国であり、なんだかんだ言っても世界第三位の経済大国であることに疑いの余地はありません。
さて、経済大国、先進国という言葉は、基準になる「ベース」を「お金に置く」ということでもあります。
なので、連日のように
「株価はどうなっている」「金利はどうなってる」
とか
「いまマイホームが買い時」「賃貸と持ち家とどっちが得?」
とか
「FXがどうの、株がどうの、証券がどうの」「ボーナスはどう使う」
とか
お金にまつわるエトセトラ
が日本中を席巻していることも、また疑いようのない事実なわけです。
しかし、こうした「お金を基準にした生き方・あり方」には、大きなワナが潜んでいることを大半の人はまったく知りません。
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お金に潜むワナ、それがどういうことかを明らかにする前に、お金の仕組みをちょっとだけ確認しておきます。
ここに、米が10Kgひと袋あるとします。これをざっくり私たちは2000円くらいで毎月買って食べているわけですが、もし米が不作になったりしたら、3000円になるかもしれません。
あるいは、米があまって余って仕方なくなれば、10Kg1000円くらいになることもあり得るわけです。
つまり、お金というのは、常に実物の価値に対して変動する=確立されたものではない、というのが基本的なしくみです。
(昔、金と交換できる貨幣だったときには、まだ金という実物にリンクしていましたが、現在の貨幣は何ものにもリンクしていません)
ということは、お金というのは「変動する・流浪の存在」だといえます。 戦後の経済成長の時代くらいまでは、お金は右肩上がりのグラフに納まっていましたので、
「お金の価値というのは、ほぼ不変であり、なんなら利子がついて増えるもの」
と日本人はイメージしていますが、バブル崩壊以降明らかになったように、
「お金というのは、 プラスになったりマイナスになったり、おおきく流動するもの」
ということが事実に近いわけです。
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これが何を意味しているかわかりますでしょうか?
答えはふつうの人にとっては意外なものだと思います。
お金が、基本的に流動し変動するものだとすれば、その交換価値を常に最大にしようとすれば、その時々の価値に合わせて「国家間を移動させなくてはならない」もしくは「そのお金を持って移動しなくてはならない」
ということです。
これを平たく言い直せば、富裕層は資産を海外に持つというよく聞く話になるわけですが、 その理解はちょっと軽すぎるかもしれません。
そうではなく、このお金の変動と国家間移動のルールを人生において応用するならば、それは
「国家という枠内や、土地に縛られてはいけない」
ということになるわけで、つまり、経済的貨幣の価値を最大にするには
「流民にならなくてはいけない」
ということになるのです!
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実国学的には、この事実をひとつのアンチテーゼとして重視しています。これまた世界歴史の裏をかく様なネタになるわけですが、
「いわゆるユダヤ資本や華僑のように、経済的活動を活発に行ってきた人たちは、実は国家を離れ流転せざるを得なかったことへの対抗策として貨幣経済を発展させてきた」
というバックグラウンドがあるように思うわけです。
流民だったから貨幣経済を発展させざるを得なかったのか、あるいは、流民だったから貨幣経済の潮流をうまく扱えたのか、それは一方の原因結果ではなく、相互作用だったと考えますが、結論から言えば
「貨幣経済への依存は、国を失う(土地を失う)元である」
という悲しい逆説に繋がるのではないでしょうか。
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考え違いを起こしてはいけないのは、「あなたの世代だけが、お金持ちでいる」という視点です。
そうではなくて、これは民族の歴史と関わりますから、「あなたとあなたの子孫たちが、どのような暮らしをするのか」ということ全体の視点を持っていただきたい、ということなのです。
つまり、あなたとあなたの子孫がお金持ちではあるけれど、流民として漂流しながら貨幣価値を維持し続けるのか、それとも貨幣価値を一旦脇へ置いておいて、「あなたとあなたの子孫の国と土地」に根ざしながら生きるのか、という壮大な視点を持って欲しいということです。
お金持ちの華僑として、シンガポールやマレーシアで生きている生活
祖国を持たずに、欧米を移動しながら貨幣資産を増やす一族
になりたいのなら、それもOKです。しかし、彼らは漂流する流民である、ということを忘れてはいけません。
彼らがお金を大事にするのは、「バックグラウンドとして、あなたがそこにいていいという土地がないから」なのかもしれないのです。
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実国学が提案する氏族の生き方は、土地に根ざしたものに他なりません。
国家と国土を失っても、金持ちでいたい、とは考えないのです。
それよりも、資本主義経済の末路が判明している今、貨幣経済のワナをかなぐり捨ててでも、(経済成長を見直してでも)、
「自分の本領・本貫を尊重する、墾田永年私財法に由来する氏族の生き方」
を目指したいと考えます。
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