2015年2月6日金曜日

<実国学を考える~番外編~> 現代の吉田松陰(自称)は何を考えているのか

 吉田松陰は江戸のテロリスト(国粋原理主義者)でしたが、それでも維新後の日本を形作る上で思想的ベースになった男であることは否定できません。


 私個人としては、別に吉田松陰を支持しているわけではないのですが、一般的にはわかりやすいと思うので、


 自称、現代の吉田松陰


と名乗っておくことにしましょう。わっはっは。


 そんな妄言はさておき、前回のブログで「若者と貧困と家族」の問題について考えたので、それを踏まえながら、吉家孝太郎が何を考えているのかをまとめてみたいと思います。



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 まず、自称吉田松陰な吉家孝太郎は、自称国学者です。で、この男が言っている国学は、「万葉集が大事」とか「天皇家は神の子孫」とか、そういう純粋な意味での「国学」からは少し発展してしまって、


日本という国家の形成とあり方を考える=実国学


というのを提唱しようとしているわけです。具体的には、どんなことを研究しているかというと、まずは


①日本人の苗字について研究している。(現代)

②その苗字から連動して氏族について研究している。(~江戸時代)

③さらに氏族が持っている土地について研究している。(平安~戦国時代)


ということになります。


 こういうことを調べていると、結果的には歴史の授業で習った「墾田永年私財法」とか、「守護地頭」とか、そういうのに行き着きます。


 そうすると、たとえば「□△」という名字の人を調べてゆくと、その氏族が鎌倉時代とかにどこそこ村や荘園の管理を任されていたことで、「地頭」だったり「守護代」だったりして、間接的に


 天皇から(あるいは有力者から)その土地を管理する権利を得た


ということがわかってくるわけです。もっと、昔になると、直接開墾したという理由で、その土地の権利を朝廷からそのままもらったりもしている場合があるわけです。


 で、この鎌倉時代とか中世までに「自分のものになった土地」を守るために、戦国時代にはそれぞれの氏族は戦国武将になって土地を取り合ったり、攻め込んだりするわけです。


 戦国時代にはいったん「所有者」がどんぶり返されて、下克上して(もと偉かったものが落ちぶれたりする)新たな所有者が(つまり大名が)土地をゲットするわけですが、名目的にはそれらは全部


 徳川家のもの


であり、それを領地として各大名に分けて与えたことになっています。



 しかし、実際に大名は現地で土地を管理していないので、その土地は元武士で、中世から現地でそこを管理していた中堅クラスの武将たち(現地の管理官)が所有していることになります。


 ところが、彼らは天下統一後、武士にならずに帰農して農民となるのです。

(一部は武士として親分についてゆき、専属軍人として暮らしますが、いざとなったら武器を持って立ち上がる半農武士もたくさんいました)


 そして、秀吉が、刀狩で武器を取り上げ、そうした元武将たちは「土地を持ったまま農民に固定」されてしまいます。


 それが、江戸時代に「庄屋」などとして、藩と土地を持たない農民をつなぐ「お上側の農民」として続いてゆくわけです。


 この「実際に土地を持っていた元武将の一族(今は農民)」は、実は戦後の農地改革まで土地を所有していますので、つい最近まで実権を握っていました。


 それから、ある程度土地は再分配されたのですが、昭和時代まではまだ家父長制度の影響が残っていたので、長男以外はその土地を相続できず、都会へと出て新たな仕事を求めることになったわけです。


 これが、金の卵世代~団塊の世代までの実際の日本の在り様なのです。


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 実国学者、吉家孝太郎は何を見ようとしているのか、だんだんわかってきましたね?

 そう、(ざっと)2000年以上もの日本の有史において、今のように都会化が進み、地方が衰退するようになったのは、ここ数十年のことで、かりに戦後60年で変化があったと仮定しても、


 1940年間は日本のあり方は、土地をいかに所有しているか


がすべてであった、ということになるわけです。


 この1940年間変わらなかった「権力者から、誰かの所有が認められ、その所有された土地を守るために生きている」というスタイルが、実は日本の国体とも言える構造であることに気付くと、現代のつい近年60年間が、いかに大きな変化であったかが理解できますね。


 そして、恐ろしいのはここからです。



 戦後60年間の変化は、1940年間続いてきた先祖たちの命のリレーを絶やそうとしているわけです。少子化、高齢化、地方の衰退は、それを如実に表しています。


 だからといって、実国学者、吉家孝太郎は


「中世に戻れ」とか「江戸時代に戻れ」とか、「昔はよかった」


というつもりは全くありません。


 世界とグローバルに繋がっている現代において、それは無理ムチャというものです。


 しかし、少なくとも「日本の国家の在り様」の流れをもう一度理解すれば、どうやって1940年間、先祖が子孫を残し続けてきたかのヒントくらいにはなると思うわけです。



 だから実国学に立ち返って考えてみよう、というわけ。



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 たとえば、土地そのものについて言えば、江戸時代までは基本的に「自己所有の土地」を作物が出来る直接貨幣価値を産むもの、と捉えていたので、江戸・大阪といった都市はあるけれど、その他の地域が


「田舎である」と衰退


していることはありませんでした。モノの交易交流は、当然都市ではたくさん行われています。しかし、当時お米は収穫量=貨幣でしたので、お米がとれる農村は、


「結果的に現金を生み出す産業地帯」


でもありました。だから、田舎である、衰退しているということはないのです。


 そして、各氏族はその土地を守ることに命をかけていたので、その土地が放棄されることはありません。なぜなら、その土地は「朝廷から認められた」「将軍から認められた」「権威者から認められた」という褒章そのものだったからです。


 翻って現代では、「貨幣価値がない」という理由で、先祖伝来の土地がどんどん地方では放棄されています。ここに、なんらかのメスを入れなくてはいけません。


 田舎なので、二束三文であると誰もが思っていますが、本来は「朝廷・将軍・大名」等に由来したその氏族の「本貫地」なのです。ここから意識を変える必要があります。



 もちろん、この背景には、氏族を中心にした「家父長制度」が破壊され、「父・母・子」という核家族に戸籍が分断されたことなども関係あります。


 吉家は家父長制度に戻せとは全く思いませんが、その氏族の経緯と団結を取り戻すことは、あながち間違いではないと思っています。

(だから若者が実家から出ないのです。これは氏族における自然な知恵です)


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 また、都会がより都会化することに制限を加えるべきだと思っています。タワーマンションができれば、本来の土地に対する容積は100倍にだって200倍にだってできるでしょう。

 しかし、地震がくれは灰燼に帰すでしょうし、それよりむしろ「少子化」を本気で考えるのであれば、土地を集約するのではなく、日本中に散らすことのほうが有効です。

 経済範囲が一極集中から、中範囲に広がれば、その土地を結ぶ経済活動も広がるからです。

(広範囲にしすぎると弊害があるので、まずは中範囲から衛星都市化すべきでしょう)




 もし、すべての建物が2階建てまでにおさまるとしたらどうでしょう。


 都市とおなじ機能を持つ地域、エリアは、現在の数倍まで広がります。


 つまり、現在の数倍の地域が「都会になる」のです。


 ヨーロッパでは、中世からの都市のあり方がそのまま残されていて、拡大を禁じています。そうした手法が取り入れられれば、日本は経済発展を維持できます。


 縦に伸ばすな、横に伸ばせ!


と現代の吉田松陰先生は言っているわけです。



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 貨幣経済、資本主義至上社会にあっては、「お金の価値」「経済的価値」が優先されますが、それを言い始めれば


「企業は全部、工場は賃金の安い海外へ作ろう」
「本社はタックスヘイブンの国外に置こう」


になるでしょう。


「個人の資産は、外貨で保有して、子弟は海外に送り込もう」
「英語が話せて世界に通用する人材になったり、育てたりしよう」


でもいいです。


・・・もう、日本いらないし日本人であることもどうでもいいじゃん!


 こうした貨幣中心の価値観は、申し訳ないけれど、戦後、それもここ20年くらいに立ち上がった「新しい価値観」です。


 吉家は、そうした価値観が、1940年間続いた「日本の国体」に勝るとはとうてい思えないのです。

 国家のありようとは、そうではなく、この島でこの土地でこの国でどう生きるかが問われているのではないでしょうか。


 上記のような価値観を追い求めて、何かを見失い、子どもも生まず、目先の利益だけを追求して、本当に幸せなのでしょうか?



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 まあ、話は尽きないので、今回はこれくらいにしておきますが、実国学の理念は、平たく言えば以上のようなベクトルで考えるものです。


 







 


 














 

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