2019年2月25日月曜日
弱者は革命を起こさず、身近な人を殺す ~誰でもよかった~
まだ、事件の第一報が入ってきただけですが、
児童擁護施設で育った犯人が、児童擁護施設の職員を刺殺する
という痛ましい事件が起こったようで、続報を待っているところです。
渋谷区の児童擁護施設、職員死亡
https://www.yomiuri.co.jp/national/20190225-OYT1T50231/
まだ動機などははっきりわかりませんが、犯人は施設入所経験者であり
「施設職員であれば誰でもよかった」
と話している様子。
本当にこのセリフを聞いて、何度もおなじようなことが繰り返していますが、
「弱者というのは、いつも本当の敵を知らない」
「弱者はいつも目の前のことしか見えず、弱者同士争う」
ということを感じます。
児童擁護施設入所者にとっての本当の敵、あるいは自分がそういう境遇に陥った本当の原因は社会体制です。
しかし、彼らはその社会体制を正すために革命を起こすことは絶対にありません。
そうではなく、ただ身近にいた支援者や、表面的に厳しいことを言った相手に対して敵意を蓄積します。
そして、反抗したり、今回のように恨みをはらそうとするのです。
なぜ、そうしてしまうのかは、もはや問うてもムダなのかもしれません。
だって、そうしない者は、弱者を抜け出して強者になってゆくのだから。
このことをもって、現代社会が
「貧困や弱者でさえも自己責任」
と突き放すのは、ある面では理解できなくもない気がします。
強者として復活を遂げるものは、真の敵を見誤らず、そこに向かってゆくので、弱者のままで恨みを貯めることはないからです。
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ヨシイエ自身は、教育界に身をおいていたので、できれば教育という外部からの注力によって、
「弱者が強者になれるための技術や理念」
を提供しようといつも思っていました。
しかし、現実論としては、結局
「強者は強者であって貪欲に強者になる理念を吸収し、弱者は最初から最後までそれを放棄するか、それを認めない」
という問題にも直面したわけです。
となると、かつての高度成長の日本のように、
「社会における強者・弱者があまり明白にバレないで、まろやかに強者が稼いだ経済発展を弱者も自然なトリクルダウンで享受できる社会」
のほうが幸せなのかもしれないな、と言う気もします。これは本当に難しいです。
弱者が、はっきりと自己責任を目の前に突きつけられないような、自分は弱者であることに気付かない社会のほうが、幸せなのかもしれません。
山田洋次監督の「学校Ⅱ」という映画に
「ユウヤは自分がバカだって知らないんだろ?僕ももっとバカだったらよかった。みんなが自分のことをバカにしているのが分かるんだよ!」
というセリフが出てきますが、いつもその場面を思い出します。
そして、その時に言う「みんな」は、安定した暮らしをしながら、高いマンションに住んだり、高級外車を乗り回している人たちではなく、
「自分の身の回りの人」
でしかないからさらに始末に負えないのです。
人間は悲しい生き物ですね。
2018年6月15日金曜日
■【資本主義をハックする 4】 弱者とは何かを真面目に考えてみた ~弱者がわかれば強者になれる~
資本主義とは何か、をマジメに考えながら、「どうやればこの世知辛い社会を渡ってゆけるのか」のワザをひねり出そうとする資本主義をハックする(ちょっとだけ人気)コーナー。
今日は、「弱者とはいったい何なのか」にあえて向き合うことで、「強者への道」を探そうとしてみる備忘録です。
そう!”弱者の反対を行えば、強者になれるだろう”、という短絡的な発想で、「持てる者である強者に対して、弱者は何を持っていないのか」を紐解いてゆきましょう。
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つきつめて考えてみると、「強者はフォース(力)を持っている」「弱者はフォース(力)を持っていない」に行き着くのですが、もう少し要素に分けてみてゆきたいと思います。
弱者が持っていないものとは、いったい何なのか、に注目してゆきます。
■1 お金と資本に関するもの
弱者は、お金を持っていません。それも単に「お金」というだけでなく
◇ 継続して入ってくるお金・収入・給与
◇ 貯蓄された資産や資本、あるいは不動産や換金可能な財物
なども含めて、まずは、「お金的なものを持っていない」 ということができるでしょう。
■2 知識や技術に関するもの
弱者は、情報や知識、あるいは時に智恵を持っていません。あるいはそれは、手に職などの「技術」という形で現れることもあります。
学歴や学力なども、これに類する要素であるといえます。
■3 関係性や人に関するもの
弱者は、頼れる親族・家族や協力者を持っていないことが多いようです。それは友達でもいいし、組合のような集団や、帰属する会社でもかまいません。
とにかく、「人との関わりや、手助けしてくれる人たち」を失うと、人は弱者の立場になってしまうことが多いのです。
■4 心身や健康に関するもの
健康でない心身や加齢、病気などによって、弱者は生まれます。心身の健康を失えば、誰しもが弱者に転落する可能性があります。
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実は、弱者の定義は、↑の4つの要素くらいで説明することができます。
そして、面白いことに、1つくらい要素を失っても、「人はなんとか生きていける」ことは確かです。
お金があれば、友達がいなくても生きていけるでしょうし、逆に、親身になってくれる周囲の人がいれば、多少お金がなくてもなんとかなったりします。
身体が不自由な人でも、幸せにくらしている人はたくさんいるし、元気な体があれば、アホでもなんとか生きていけるかもしれません。
逆に、4つとも失ってしまったときには、それはもう弱者以外の何者でもないでしょう。
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また、それぞれには、実は最底辺に落ちてしまわないためのセーフティネットが整備されていることも、興味深い事実です。
■ お金の要素には「生活保護制度」があり
■ 知識や技術には「無償の義務教育」があり
■ 関係性には「福祉職員や民生委員制度」があり
■ 健康には「健康保険制度や高額医療制度」などがある
ことからも、 きちんと機能しているかはともかくとして
「弱者の4つの側面に対して、政府はまったく手当てしていない」ということは無いんだ、ということはなんとなくわかってきます。
そのため、日本では「絶対的貧困」に陥る人が少ないと言えるかもしれません。本当に底引き網のようなところでは、制度上の保護策が一応はあるからです。
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では、今度は逆です。何を持てば、我々は「強者になれる」のでしょうか?
■ 定期的に入ってくるお金と、蓄えられたお金や資産
■ 知識・智恵・技術・資格など
■ 他者との良好な関係や助け合える人付き合い
■ 健康であること
これらがあれば、私達は強者となれるのです。
そしてこれまた面白いことに「全部4つ揃わないと強者にはなれない」ということはありません。1つくらい足りないものがあっても、弱者にならずに済むことは確かです。
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弱者を脱出するには、4つの要素を意識して、「全部そろえよう」と思うのではなく、一つずつでもいいから、持てる要素を増やしてゆけばよい、ということに気付かされます。
仮にお金がなくとも、残りの3つの要素を努力して手に入れることは可能だからです。
私たちは時に、自分がお金がないので弱者だと思い込みがちですが、実際には問題点はそこだけではありません。
あなたがもし弱者だとすれば「人間関係や健康や、知識技能の面でも何か問題を抱えている」というのが実際のところかもしれません。
であれば、まずは一つずつ、要素をクリアしてゆかねばならないと思います。
この中で、最もコストをかけずに出来ることは、「誰かと関係性を持つこと」「誰かと繋がること」そして、時には「誰かに助けを求めること」です。
助けを求めることは、プライドさえ捨てれば、たやすいことです。
ネット社会ですから、「知識を得ること」や「情報を探すこと」も、比較的ローコストできるようになってきました。
この2つを実行に移すだけで、(ほんとうに行動を起こしさえすれば)状況は変化することは確かです。
ただ、残念なことに、弱者がある日を境に強者へと変貌することはありません。
ゲームで経験値を積むように、日々のトレーニングでマッスルボディを手に入れるように、それは毎日わずかな変化かもしれませんが、一歩一歩が
「結果にコミットされちゃう」
こともまた事実なのです。
ぜひ、一度試してみてほしいと思います。
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