先日より、学校を取り巻く諸問題について、ヨシイエならではの鋭い視点で切り込み隊長をしていますが、今回はその2回目です。
教育にやたら造詣が深い吉家ですが、とくに死人や怪我人が出るようないじめや学級崩壊・学校問題が噴出する理由は、
すべてその学校の職員室にある!!
と言っても過言ではないので、今日はそのあたりをレクチャーしましょう。
そうです。職員室の状況を見れば、その学校が問題を起こすのか、それとも適切に学校運営がなされているのかは一目瞭然なのです。
言っちゃいましょう!あのセリフ。さあ、みなさんもご一緒に!
「事件は教室で起きてるんじゃない!職員室で起きているんだ!!」
↑ここはあえてのモスグリーン色で(笑)
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ところがどんどこしょ。一般の人や保護者など、つまり職員室の外部の人にとっては、残念ながら職員室でどんな事件が起こっているのかわからない、というのが現実です。これは大変困ったことなのですが、
いかんせん学校は密室
なので、一朝一夕には解決しません。
ヨシイエのような学校問題の専門家(←どこが?)になると、いろんな話を聞けばおおよその状況は察しがつくのですが、これはとてもマニアックなので、外部からはわかりにくくなっています。
というわけで、今回不肖ヨシイエが、「問題を起こす職員室の状況」を説明したいと思います。
(もちろん、すべてではありませんよ!一側面として取り上げてみるものです)
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と、その前にとっても大事なことがあるので、職員室を観察する前に、そもそも教師とはどういう存在なのかを確認しておきましょう。
職員室でさまざまな人や心の動きが生まれるには、理由があります。
1件の飛行機事故に至る前には、300の原因やヒヤリハットが隠れているなんていいますが、学校で1つの事件が起こるのにも、実は陰に300の原因や遠因が隠れているわけです。
さて、一般的な公立学校の教師とはどんな生き方をするのかを想像しながら以下の説明を読んで欲しいと思います。
まず、教員採用試験を受けた学生は、小中学校であれば県全体で採用されて、各市町村教育委員会所属の学校へと振り分けられます。自分の希望はほとんど通りません。
仮にA県のA市で生まれ育った学生がいたとしても、彼がA市に配属されたのならばとてもラッキーで、大半の学生は全く関係のないZ市に配属され、そこで一生を終えます。
高校教師の場合は少し違っていて、県で採用された学生は、県内のどこの地区へも飛ばされまくりです。
これらをスタートにして、数年後とに学校を変わりながら教師は人生を過ごしてゆくのですが、仮に管理職になろうとすれば、最初に採用された時のようにどこかの小さな学校の教頭・中くらいの教頭・大きい学校の教頭を経て、また小さな学校の校長になってゆきます。
逆に、ヒラの教師でいる場合は、年数が過ぎるごとに「わがままが言える権利」を持ってゆきます。
これもとっても大事です。若いときにさんざん田舎へ飛ばされたんだから、中堅から老後に向かっては、「自分の好きな学校へいられる権利」のようなものが暗黙に形成されているのです。
これはちゃんとしたご褒美なのです。
すると、ひとつの学校にずっと居座っているような老害教師が生まれたり、やってくる教頭や校長よりもキャリアが長い教師が生まれたりすることになります。
そして、そうした教師は都市部や大規模校では「たくさんの教師の中の1人」でいられますが、小規模校では「経験の長い、大先輩」扱いされていることもあるわけです。
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さあ、面白いのはここからです。
表向きには誰もそんなことは言いませんが、学校には序列があります。
都市部の学校と田舎の学校の間には、ヒエラルキーピラミッドの階層が横たわっています。
同じ都市部の学校同士、同じ郡部の学校同士でも、「旧制中学だったとか」「歴史が古い」とか「元は藩校だった」とかいろいろなランクが潜んでいます。
外部からそれを見抜くヒントは、少子化の現代においては「間口数の増減」を観察しているとすぐにわかります。
ランクが上の学校は間口数(1学年あたりの学級数)が多い、もしくは学級数が減らされないなどの特徴ある動きをします。
それは都市部同士、郡部同士でもちゃんと順位づけされていますから、プロが見るとすぐわかります。
なぜ、この序列が重要かと言えば、教師の転勤や校長・教頭の配置はこの学校序列ランキングの順位表とルート表によって管理されているからです。
(もちろんこの”表”とやらは明文化されていません。あくまでも暗黙の了解によって形成されています)
そもそも、最初の配属の時から、教師の試験の成績と配属地は関連性があります。
もう、ぶっちゃけ言いますね。
「成績のよい学生は、ランキング順位の高い学校に配属される」
これがスタートです。
「あたまの悪い学生は、僻地校からスタートしたり、教育困難校に行かされる」ということです。
もちろん、そこから先は教師としての実力によってルートは入れ替わってゆきます。その実力がどういうものかは、前回説明したとおりです。
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まず、これがどういうことを意味するのかというと、問題が起きる学校は「どういう職員が配置され、どういう教頭が配置され、どういう校長が配置されているか」が、すでに問題の起きない学校とかなりの差があるということです。
つまり、とある県の○○教科研究会の議長を勤め、教育委員会で指導主事を経験して、旧帝大派閥のトップに君臨しているA校長先生は、
いじめが起きるような学校には赴任しない
のです。それよりも、A校長先生の学校の関心事は、国公立大学に何人ほりこんだとか、中学校であれば旧ナンバースクールのA高校に何人進学したかとか、そういうことなのです。わかるよね?これ以上は言わなくても。
そして、そういう学校には、そういう一般の先生もたくさんいます。仮にA校長が「うちの学校では生徒指導をもう少ししっかりやりたいな」と思えば、
各地域の生徒指導部長を3人くらい引っ張ってきて赴任させる
ということも可能です。(実際にそれをやると、評判に響きますが(笑))
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逆の見方をすると、事なかれ主義に陥っている職員室の学校は、
①そもそも校長が、教頭から校長になったばかりだったりする。
②そもそも教頭も、教頭になったばかりだったりする。
③その土地にずっと根ざしている古株の教員が能力もないのに威張っていたりする。
④若い先生は成績・能力(これらを雅語で「経験」と呼び替えます)が芳しくない方が多いかもしれない。
なんて問題を抱えています。
こういう学校の最大の特徴は、職員会議のあと、煙草部屋に集まっていたおっさん教師数人が、
「やっぱりさっきの話はアレだけどさ」
とか、言い出して議決内容をひっくり返すこともしばしばです。
もっと最悪なのは、校長が学校の状況を把握していない故に、勤務年数の長いおっさん教師にすべてを任せてしまい、自ら攻め込もうとしないことです。
こういう学校にぶち当たってしまうと、たとえば自分のクラスでいじめがあって、同僚や上司に相談しようとしても
「それは君の教師としての力量が不足しているからだ。もっと生徒と向き合いなさい」
なんてわけのわからないお小言を貰って煮詰まってしまうことになります。
☆ここで名言!「生徒と向き合え」という言葉を使う人間には気をつけましょう。
そういう言葉を使う教師に限って、「生徒と向き合うということを具体的な行動5つに置き換えて説明しなさい」ということができないからです。
ヨシイエはできますよ。大丈夫です。
①教室で問題があるなら、休み時間も給食時間も教室にいて生徒を観察する。
②すべての生徒と個別面談をして、保護者にもその結果を伝達する。
③気になることの記録を文書で残しておき、管理職と学年主任に見せて報告しておく。
④欠席した生徒の家に行き、顔をみて話す。
⑤事務室へ行って金銭の出納状況に問題がある生徒がいないか確認する。
⑥部活動の顧問・教科担任などが気付いていることがないか確認して回る。
⑦全ての生徒の放課後の机の中、ロッカーを見る。
⑧保健室の先生と連絡を取る。
・・・・・13くらいは出せますが、まだ必要ですか?
まあ、問題のある学校の職員室では、こうしたことが驚くほどに出来ていません。連携もなされていないし、該当の教師はただただ孤立してゆくのみです。
逆の視点も添えておきましょう。よい職員室とはどんな状況なのか。答えは簡単です。とても簡潔明解です。
それは、こどもの諸問題に立ち向かう時に、
「二人以上の教師が常に関われている職員室」
は間違いがおきません。
担任と副担任、担任と学年主任、担任と教頭などなど、(もうこのさい校長はいいです。えらい人だし)
常に二人以上がチームで問題意識を持って同じテーマに顔を向けている職員室は、いい職員室です。
別に2人に限定せず、6クラスの担任同士6人とかでもいいです。中のいい教師2人でもいいし、部活の顧問と担任でもいいのです。
実はこれは、刑事の鉄則でもあるのです。パトカーの機動部隊は常に2人の警察官が乗っています。
単独行動になると、間違いを犯したり、付け入られたり、何かを見逃したりすることがありますが、2人だととても強くなります。
こどもの話を聞くときでさえ、かならず2人で聞いてください。これは絶対に必要です。
なので学級崩壊の予兆があれば、すぐに2人目の教師を送り込める管理職は優秀だし、いじめ問題を疑えば2人以上のチームで当たらせる管理職はプロです。
もし、この記事を読んで1人で学校問題に悩んでいる教師の方が居れば、ヨシイエは常にここにいますのでなんでもご相談ください。
え?ヨシイエさんは何者かって?
一介のサラリーマンであり、時に作家であり、変態で、実国学者を名乗る現代の吉田松陰(新)です。
↑バカ。
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