日本古来のある種「伝統的・正統的な」日本人の生き方とはなんぞや?ということを模索している実国学のコーナーですが、興味深い記事を見つけたので取り上げてみたいと思います。
明治時代の外国人がみた「日本女性」の評判がスゴい
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150929-00946454-sspa-soci
元ネタは週間SPA!さんのようですが、石川真理子さんという方の「女子の武士道」という本について取り上げた記事です。
さて、この本の内容。米沢藩士の娘に生まれた明治女の石川さんの祖母がどんな規範や、たしなみを自分の中に持っていたのか、ということをまとめたものだそうで。
現代の女性も「強くなった」と言われますが、その強さとは全く違った別の「強さ」を秘めていることが明らかになっています。
石川さんから見れば、
『世界でも有数の経済大国へと成長したことそれ自体は確かに素晴らしいことですが、それに反比例するように日本人としてのアイデンティティが薄れていって、まるで“根無し草”のような感覚を持った人が増えていると感じます。
結果、先祖から連綿と続く命の楔の先端に自分が存在することに無自覚なことはもちろん、生きている意味や人生において何を為すべきかということに思いが至らないわけで、どうしても生き方が無責任にならざるを得ない。
元来、日本人は八百万の神を信じ、万物に宿る神々を支えに生きてきました。
それは、人生における数多の苦しみを少しでも軽減し、人生をより豊かなものにするための“確かな方法のひとつ”として実践されてきたものではないでしょうか。』
(以上引用)
という現代人が失ったものがそこにある、というわけですが、この視点はまさに実国学のそれとおなじものです。
ヨシイエ個人の考え方としては、現代の私たちがイメージする「武士道」という概念は、どちらかと言えば、江戸中期から明治期にかけて醸成されたものであり、中世の武士道とはだいぶんニュアンスが違うので、「武士道」ということばそのものに惑わされる必要はないと思いますが、その根底に共通して流れている何かがあることも事実であろうと思います。
そのあたりを本ブログでは「実国学」という視点で捉えなおそうとしているわけですが、一見男性中心に見えるそれらの観念を
女性の視点とポジションで考える
ということはとても重要な論点だと思います。
また、実国学は「武士」の生き方を問うものではありません。
「じゃあ、農民や商人や町人はどうなんだ」と言われれば武士道だけでは、日本人の生き方を規定できないことになってしまいます。
従って、実国学の焦点は、いわゆる武士だのなんだのという身分制度ではなく、日本という土地にどのように根ざしているかをポイントにおいているところが特徴です。
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