2018年11月9日金曜日
【資本主義をハックする 15】 強制労働社会を生きる術 ~おしごとポートフォリオを考える~
前回の記事で、「引きこもりの人であれ、なんであれ、基本的に人は就業することが望まれている」というニュアンスのことをちらりと書きましたが、実は
「会社員になる。就職する。どこかの職場に所属する」
というのは、日本の歴史においては、そんなに主流であった時代は長くありません。
たとえば、江戸時代までは、農家という生産者である生き方をする方が大半だったし、商家においても、家単位で活動をしていました。
もちろん、奉公人や丁稚などもいましたが、日本人の8割とか9割が丁稚になったわけでは全然ないわけです。
むしろ、そうした生き方はマイノリティでしたから、日本人の多くが「組織に属して仕事をするようになったのは、高度成長期以降」と言っても過言ではないかもしれません。
また、ある人の一生において、子供の時代、学生の時代のつぎに、「会社員(などの組織に属する)時代」がそのままやってくるというのは、世界的にみてもまれなことで、 海外では新卒一括採用などもありませんし、どうしても
「無業である期間」
「何者でもない期間」
を経て、
「就業という道もある」
という生き方をすることが大半です。
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そういう意味では、現代は、「いかなる人であれ、とりあえずは何らかの形で組織のようなものに属して労働者として活動することが多い、あるいは望ましい」という
強制労働社会
にあると仮定することはできるでしょう。それが正社員であれ、派遣社員であれ、バイトであれ、とりあえずは
「なんらかの形で労働者である」
ことが社会において必須とされているわけです。
そうすると、海外の新卒者のように、
「何者でもない若者」
なんてのは、許されないわけで、そのために「引きこもり支援」でもそうですが「とりあえずどこかに属して働け」という圧力がかかるのですね。
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ところが、こうしたスタイルは、一見すると「資本論」でマルクスが書いた「資本家と労働者の姿」にぴったりと合致するものですから、私達もなんの疑問も抱かずにその暮らしを社会全体で行っているのですが、実態としては
「みんながみんな資本家と労働者で成立するというのはナンセンス」
であることも事実です。
引きこもりという無業者がいてもいいし、自営者がもっといてもいいし、生産者がいてもいいわけです。
むしろ、資本主義ハッキングの観点から見れば、ある人が
「ある時は労働者、またある時は資本家、そしてまたある時は生産者」
といういくつかの「おしごとポートフォリオ」を有しながら人生を歩んでゆく、というスタイルが、望ましいのではないか?と思います。
富裕層の人などは、「社員でもあるし、別の会社の役員でもあるし、資産運用もして株主だし、また別の法人でも活動している」なんてことはよくあります。
彼らは「強制労働社会」という枠からはみ出しながら、生きています。
あるいは地方の農家さんで兼業なさっている人は「社員でもあり、また生産者でもある」ということになります。
これも、「強制労働社会」から片足はみ出していることになるでしょう。
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こうして考えると、本来、人は「組織に属してもいいし、属さなくてもいいけれど、なんらかの報酬が生まれる活動には従事しなくてはならない」ということになるでしょうか。
何者でもないなら、道端で露天を開いてでも、現金収入は必要だからです。
ところが、組織というのは、実は「何者でもない人間にとって、もっとも容易に報酬を得る場所である」という側面もあります。
現代は「強制労働社会」が発展してしまったがゆえに、私達は「強制的に組織に属して労働を行うことを、実はいやなことだと受け止めている」わけですが、その反対の面を見れば
「会社などの組織に属さなければ、フリーランスとして自分ですべての経営を行って報酬を探さなくてはならない」
ということが起こりえます。
これは、会社員としても能力が高い人で、自営でも能力が高い人には、フリーになってもあまり問題は無いかもしれませんが、
「自分に経営能力がなく、言われたことしかできない弱者」
にとっては、 困窮を意味します。なので、派遣社員であろうと、バイトであろうと、実は
「能力のない者については、今日からでも現金を得られる救い」
であることは、ある意味では事実なのです。
なので、そこをうまく突いて、資本家は労働を搾取することができる、という面ももちろんあります。
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資本主義ハッキングの側面からこのことをまとめてゆくと、最終的には
「資本主義ハックの究極の目標は、自営業者になること。そして資本家になること」
以外にはありません。
そして、そのために初期の段階では自分に力も資本もないために
「まずは雇われ労働者になって、当初の現金を得ること」
を、とりあえず行っている(その制度があってラッキー!)ということになるでしょう。
そして、労働者賃金と、資本収入と、経営による利益というさまざまなポートフォリオのバランスをとってゆくことが
「望ましい資本主義下での生き方」
ということになるのではないでしょうか。
前回、ニャートさんの論に従って、「働けない弱者はどうしたらいいか」ということをじっくり考えてみましたが、上のようなことを踏まえると
「働けない弱者は、自分で報酬を生み出さねばならない」
という、より難易度の高い状況に追い込まれるから、引きこもりから長い間脱出できないことになるのですね。
まったく逆説のようですが、「働けない人ほど、どこかの組織に属して働くことが、もっとも楽に報酬を得られる方法である」ということが起きているのです。
この矛盾は根深い問題だと思います。
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ただ、私は副業などを実際に行っている中で、「おしごとポートフォリオ」のバランスにおいて、
「これは幸せだろうな、幸せだなあ」
と感じることが一点あります。
ふだんは労働者をしているわけですから、「強制的」にやらされている仕事という感ももちろんあります。
しかし、副業については、
1) 自分の好きな時間に、好きなだけ取り組める
2) 自分の好きな価格を提示し、好きな利益を享受できる
3) 好きな場所で行えるから、強制された場所へ行かなくてよい
という3つの幸せポイントがあることに気付かされます。
ただ、それが本業の収入よりもかなり少ないから、まだ資本主義ハッキングが完了していないだけで、もし、「おしごとポートフォリオのバランス」において、副業で生活できる収益が上がるのであれば、
もはやおしごと人生に悩みはない!
とまで言い切れるのではないでしょうか。
この点を考慮すると、引きこもりの方に向いた就業とは
「自分の好きな場所で、好きな時間だけ取り組める(できれば好きなだけの報酬であればよいがそれは厳しいかも)」
ものである、ということが浮かびあがってくると思います。
じゃあ、具体的にそれは何の仕事か?ということがミソではあるのですが(笑)
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