いつも、このブログが更新されるたびに、必ず読んで下さっている方が2人だけおられます。
・・・別にたいしたブログではないのに、お読みいただいているということは感謝感激です。
このお二方に気に入られるか気に入られないかは全く関係なく、今日もカッ飛ばしながら、無茶苦茶な話を書きまくる所存です。
・・・そういえば、前回の「実国学を考える15」で取り上げた武藤議員が自民党を離党なさったそうで。
なんでもお金にまつわる別の問題もあったらしく、「彼を選んだ滋賀の有権者もどうやねん」という論調でネットは盛り上がっていますが。
ぶっちゃけ、実国学者であるヨシイエからすれば、
「北海道音別生まれの人間が滋賀で議員しているってどうやねん」
と思っています(笑)
それこそ、彼の本領で活動していないわけで。
(誤解を招いてはいけませんので申し添えておきますが。日本国民には居住の自由があるので、どこ生まれの人がどこに引っ越してどこで議員になってもいいのですが、実国学者としては、
本領で活動することが本領発揮である
と考えているので、そこんとこよろしく)
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さて、ヨシイエは8年間、その北海道で暮らしていたことがあります。それこそ、ヨシイエは本領ではないところで過ごしていたわけですが、だからこそ気付いたことがたくさんあります。
というわけで今回は、「北海道とは何ぞや」というあたりを実国学の視点から考えてみたいと思います。
北海道という場所は、実国学的にはみなさんご存知のとおり、アイヌの人たちの土地を日本人がほぼ勝手に取り上げた植民地みたいなものです。
もちろん、少なくとも中世ぐらいからは、和人とアイヌの交易交流があり、のちに松前藩となる蠣崎氏が蝦夷へ支配権を伸ばしたのは1400年代なので、古い歴史があるとはいえ、やっぱりどう転んでもこれはアイヌの人たちの土地を取り上げたと言わざるを得ません。
そういう意味では、北海道はアイヌの人たちにとっての本領であり、本州人にとっての本領ではありません。
なので、実国学者の理念から言えば、北海道はアイヌの人たちが自分たちの本領として支配したらいいじゃない、くらいに考えています。
(もっと言えば、北海道だけじゃなくカラフトからカムチャッカのあたりまで、みんなアイヌの人たちが主権を持ってもいいんじゃない?と思っています)
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そういう意味では、本州人にとっての北海道というのは、ヨーロッパ人にとってのアメリカと同じで、旧来の制約にしばられない比較的自由な国であることは確かです。
本州出身であるヨシイエが北海道で感じたのは「北海道って、つまりはアメリカなんだよね」ということでした。
「こだわらない、自由、奔放」という印象が強く、それは良い面としての「おおらかさ」のようなものにも繋がっていたように思います。
ところが、北海道がアメリカと全く違う点が一つだけあって、アメリカは独立戦争を経て、自分たちのことは自分たちで決めるという主権を持っていますが、
北海道は、今でも東京政府の植民地である
という印象が拭えないことが最大のポイントなのです。
これはいったいどういうことか?
北海道の行政に詳しいと、ヨシイエが言っている意味がわかると思います。
北海道というところは、公的機関・一般企業を含めて、基本的には「中央政府から送り込まれた人間によって支配されている」という土地です。
もちろん、古くから北海道に住み着いている人たちもたくさんいるのだけれど、彼らとて元を辿れば「屯田兵」であったり、基本的には「本州からやってきた人たち」であることには変わりません。
しかし、それ以上に、北海道の官庁は中央政府(つまりは東京・霞ヶ関)の以降を受けて動いており、北海道にやってくる企業人たちも、本店からの札幌支店への移動という形でやってくるわけです。
すると、結果的に「北海道における意思決定機関は、札幌ではなく東京」ということになり、北海道庁はあたかも
東京の傀儡政権
のような動きをすることになるわけです。ここがミソ。
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面白い事実があって、私もそれを知って驚いた&苦笑いしたのですが、北海道の学校職員の序列は、ふつうに考えたら、
「北海道大学と北海道教育大の派閥が強いのかな」
と思いがちですが、違っていて
「東京学芸大系・筑波大学系派閥」
が強いのだそうです。
なんで東京学芸大やねん!とツッコミを入れると、なんと「旧東京師範大だから」だそうで、これなら納得です。
そうなのです。北海道の教育界の偉いさんたちは、地元北海道大ではなく、「東京師範大」系列で固められているというあたりが
「東京政府の傀儡である」
ということの傍証になるわけで。
(ちなみに、ふつうの地方の学校職員の序列は、地元色が強いので「○○県立大」とか「○○県立教育大」とかの派閥が強くなります)
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まあ、こういうわけで北海道というのは今のままでは絶対に発展しません。経済的にも疲弊していますが、なんせ東京の植民地なのでおいしいところだけ吸い取られてせっせと農産資源を中央に送らされているからです。
北海道の農家というのは、大規模経営をするために農協に借金をさせられまくって、かつ安い値段で生産物を買い叩かれています。
もし、北海道が独立したら「うちは、途上地域なので二酸化炭素もバリバリ排出させてもらいます!」と炭鉱を再稼動し、「うちは土地も人件費も安いです」と本州の工場を呼び寄せ、今のどこかの国くらいには発展するはずです。
そうなると、ムネヲ氏は総理になれるかもしれませんね(笑)
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さて、北海道と並んで課題のある沖縄地域ですが、こちらも「沖縄独立」なんて意見も出ているくらいキナ臭い側面もあるわけで。
しかし、沖縄の場合は「実国学の視点から考えて、誰がなんと言おうが、沖縄は日本」であると言えるから面白い!
なぜ、そういえるのか。
沖縄の人たちは、ちょっと彫りが深くてエキゾチックですが、彼らは基本的には和人です。
なぜなら、沖縄統一王朝である、「尚氏」の出自について「中山世鑑」「おもろそうし」という正式な歴史書に
沖縄の尚王朝のルーツは源為朝
と書いているくらいなので、沖縄王朝の歴史は源氏なのである!バババン!
ということが成り立つわけで(笑)
実国学者としては、沖縄がそういう歴史を自ら編纂してきたことは、DNA的にどうかとか、そういう問題を差し置いても認めざるを得ないことになります。
これを朝鮮半島に置き換えると、
「私たちは日本に侵略されたのだ!」
と自ら言っている韓国・朝鮮の人たちが、
「私たちは、元日本人なのだ!なので、大陸への責任は自分たちにもあるのだ!」
と言っているのに等しいくらいのすごい事なわけで。
もし、万一朝鮮半島の人がそういうのなら、日本人は「韓国がそういう認識である以上、併合したのは拙かったかもしれないが、そういう問題を差し置いても認めざるを得ない」という理屈になるのは、まともな人なら理解できるでしょう。
「島津氏による琉球支配→尚氏王朝が自他ともに源氏を名乗っていること→沖縄県の成立」
と
「日本による韓国併合→あくまでも侵略戦争の被害者だと主張すること→韓国の成立」
を比較すれば、沖縄問題のポイントはすぐにわかることです。
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ちなみに、実国学者から見た朝鮮半島の問題については、言えることははっきりしています。
「氏族は、自らの本貫地・本領に拠ってこそ主権を持ち、主体的に存在できる」
という実国学の理念をもとにすれば、在日朝鮮・韓国の人たちは、本領である朝鮮半島に戻ってこそ主体的に生きられる、ということになるでしょう。
ワタクシ吉家は、ヘイトスピーチも嫌いだし、差別をする気持ちも全くありません。
しかし、「人は本領復帰・本領発揮してこそ、幸せになれる」と思っていますので、
在日の方々は、経緯はともかく、最終的には本領へお帰りになったほうが、より本来の姿に戻って幸せになれるのではないか、と考えるわけです。
あくまでも、差別的発言はありませんよ。くれぐれも誤解しないでください。
「朝鮮人は帰れ!」
といえばヘイトになりますが、
「ユダヤ人はカナンの地にいるのが幸せだよね」
「女真族は満州の地にいるのが本来的だよね」
と言っているのと同じです。
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<補足>
実国学者は民族自決主義者ではありません。
他民族国家も存在するし、すべての民族が独立すべきだとも思いません。ただ、人は本来本領を意識して過ごしていることがベースであるので、そこからずれてると、
「ちょっとしんどいよ」
というダケです。
「しんどいけど異国の地で頑張る」という生き方もOKだと思います。それこそ、自由ですから。
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