2015年8月4日火曜日

<実国学を考える 15> 「戦争行きたくない」は利己的か? ~実国学から考える利己的の視点~

 今日も明日も真夏真っ盛りですがこんにちは。汗だくヨシイエです。


 ニュースを見ているとちょっと面白いネタが飛び込んで来たので、ちょっかいをかけてみたいと思います。


 「戦争行きたくないは利己的」 自民・武藤氏ツイート炎上
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150803-00000036-kyt-l25


 元ツイートはこれね。
 https://twitter.com/takaya_mutou/status/626788645379280896




 ようするに武藤さんは何をおっしゃったかと言えば、「戦争に行きたくない」という活動をしている人は、利己的で、それは戦後の教育が「個人主義」を教え込んだのでそうなったのだ、と主張なさっているようです。


 ちなみにこの武藤議員。滋賀県で議員をやってますが、本来は北海道の方で、大学院ぐらいから政治活動に入り込んでいったようです。

 北海道で、音別生まれか~。へーほー、ふうん。(だからどうこうということはありません)


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さて、現代の吉田松陰(新)を名乗っているヨシイエさんから見て、戦争に行きたくないというのは、本当に利己的なのかどうかを検証してみたいと思います。


 これはとっても大事なお話。


 どうやら、武藤さんは、神道政治連盟に属しておられるらしく、靖国神社についてもいろいろ思うところがあるらしいので、そういう政治的バックグラウンドを持っているために、

「お国のために」

 活動すべきである、という思想信条があるのかもしれませんが、私は武藤さんではないので断定はしません。てへぺろ。


 実国学者、ヨシイエ孝太郎は、どちらかといえば右曲がりです。 皇室に対して崇敬の念がありますが、残念ながら、


「皇室のために、あるいはお国のために」


私たち日本国民が活動すべきである、とはちっとも思いません。


 なんでか?


 何度も口をすっぱくしていっているように、「墾田永年私財法」により、この国の土地主権は、基本的に私有財産として認められていますから、日本国民は


「自分の財産である本領・本貫を守るために活動する」


ことが主権そのものなのです。何度でも言いますが、自分で開墾し、自分で汗水流して作った土地は、永遠に、エターナルに自分のものなのです。それを朝廷は認めているのだから、お国のためなんてものは既にありません。


 ということは、実国学の視点では、「自分のものを守るために主権の発動をすることはかまわないが、当然戦争をしたくないから、主権を発動しないこともかまわない」わけです。




 戦争をしたくないので、領主はどうすべきか。


 これは既に歴史に答えがあります。


 中世において、自分でせっかく開発した土地を自力で守らねばならない、という状況が起こりました。当然、自分で守り抜くぜこのやろう!という氏族もいましたが、


「争いは、ちょっと・・・」


という氏族ももちろんいました。 そういう氏族はどうしたか。


 答えは、有力な荘園領主に、土地を寄進してしまい、その代わりにその土地の実行支配権を認めてもらう、ということをやったのです。

 つまり、親分に土地を寄進するのだけど、その土地の実際の管理人として雇ってもらう方式です。


 ・・・・これって、利己的ですか?

 いやいや、とても現実的で、かつあり得そうなやり方だと思います。


(まあ、現代日本も同じようなことをやってて、アメリカについてゆくし共産主義になびかないから、その代わりに兵力はアメリカに依存させてね、ということをやってます。今現在)


  ワシは真の国学者なので、どちらかといえば、主権を持つには、最強の兵力を持ち、世界に対して自立すべきだ、と思っていますが、それは「お国のために戦争へ行け」というものではありません。

 真に主権を発揮したい者だけが兵力となればよいのであって、国民の大半が、


「僕らヘタレですから、戦争したくないです。やられちゃってもいいんです」


と半べそかくなら、それもまた真なり、と思うわけで。それで、侵略されてしまうのもまたこの世の無常というものです。

 新疆ウイグルの人民のようになりたければそうすればいいし、朝鮮半島のように基本宗主国になびきたければそうすればいい。


 しかし、ワシ本人は、日本の国土(土地は)日本人とその土地に住むものの主権によって、堅持せねばならん、と思っております。はい。


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 経済学の原理ではないですが、世界というのは


「強烈に利己的で利己主義で自分のことしか考えない」


者たちがぶつかり合ったところに、セカイの平和と安定と発展は成立するわけです。


 A国とB国がセカイ最強兵器で狙いを定めまくっているので、その間実際の平和が保たれるとか、誰もが自分中心でありえるためには、ちょっとだけみんながガマンしたほうが最も自己中でいられる率が高まるとか、そういうものなのです。


 なので、利己主義と自己中を否定してはいけません。否定してしまえば


「ある特定の層に都合のいい利己主義だけがはびこる」

ことになります。特に、政府とか支配層とか、富裕層とかの一部だけにね。


 すべての人間がガチンコで、利己主義をぶつけあうと、どこかで引かないと成立しないわけで、この「引きざま、引き際」こそが文化と歴史の発展に繋がるわけですよ。



 そこんところをわかっていないのだとすれば、そういう人はは逆に「特定の層にいいように使われる人間」になってしまいます。


 おそろしいことですね。




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