2019年2月15日金曜日

■メディアリテラシー教育は、バカッターやバイトテロに対して無力である


 アルバイト店員が不適切な動画などを発信するという「バカッター」「バカスタグラム」「バイトテロ」事件の話題がいっこうに収まる気配もありませんが。


 それらの対応策、予防策として必ず出てくる話が

 

「ネットリテラシー教育を充実させよう」

 

「メディアリテラシー教育を従業員に」


などの言説です。



 今や、記事をこれらの事件を取り上げたら、その「オチ」でも書いておかないと話がオチない!というぐらいに、最後はリテラシーでまとめられるようになりました。


 
などなど。他にもいっぱいあります。




 しかし、そう書かざるを得ないのは仕方がないとして、実際には

 

「リテラシー教育は、たぶんムダ」


だと思われます。


 その理由は簡単。


 メディアリテラシー教育を充実させても

「メディアリテラシーの偏差値が高い学生、若者」


「メディアリテラシーの偏差値が低い学生、若者」

が生じて、結局のところ、

「メディアリテラシーの低い若者が、低賃金労働に集約され、バイトテロを起こす」


ということは、

 

現在起きていることとあんまり変わらないから


です。




 すべての教育活動というものは、その教育の成果を高く享受する者と、その教育内容が入り込まない者を生みます。


 その教育内容が入り込まない者は、教育を受ける機会が平等に訪れても、まるで教育を受けていないかのように振舞ってしまいます。


 これは、近年言われている「日本人の3割は、日本語を実は理解していない」みたいな話と繋がってきます。


 そして、低賃金労働に従事するのは「日本語を理解していないほうの人たちである」という笑えない現実が生じているわけですね。


 そうすると、最終的には何が起こるかというと、

 

「高付加価値、高価格帯、高学歴なサービスと人材の世界」



 

「低付加価値、低価格帯、低教育歴なサービスと人材の世界」


とに分断されるということです。




 たとえば、「すき家」や「くら寿司」で言えば、

 

「教育や人材選別にお金をかけ、そのコストを支払って体制を整える」


のであれば

 

「100円やら360円やらで飲食を提供できない」


ことが起きます。



 そうすると、高付加価値・高価格帯の店に移行せざるを得ません。


 逆に、今までどおりの「低価格・低コスト・低賃金・低人材」路線で行くのであれば、

 

「従業員の質がちょっとくらい悪くても文句言うな。そういう店だ」


と開き直るしかありません。

 

賞味期限切れ寸前のジュースが50円で売っている自販機のようなものです。


「そういうもんだから安いんだ」


と。


==========



 こういうことが繰り返されてゆくと、最終的には、日本人の特性としては

 

「すべての商品・商材は高コスト・高価格帯に移行する」


と思われます。



 残念ながら日本人は、今のところ

 

「社会階層と生活分断」


についてあまり意識していません。

 

 「え?牛丼屋なんて、派遣労働者の食事でしょ?」

 

「100円寿司なんて、低収入の人たちがいくところでしょ?」

といった差別的ニュアンスを含んだ言説に購入者も、提供者も心が耐えられませんから、徐々にこうしたデフレ価格帯の商品は「コスト高、価格高」に移行すると思います。



 これは別に悪いことではないかもしれません。

 

「高いコストをかけて、高い商材を高く売る、そして従業員には高い給料が出る」


ということは、けして単純な悪ではないからです。
 

0 件のコメント:

コメントを投稿