アルバイト店員が不適切な動画などを発信するという「バカッター」「バカスタグラム」「バイトテロ」事件の話題がいっこうに収まる気配もありませんが。
それらの対応策、予防策として必ず出てくる話が
「ネットリテラシー教育を充実させよう」
「メディアリテラシー教育を従業員に」
などの言説です。
今や、記事をこれらの事件を取り上げたら、その「オチ」でも書いておかないと話がオチない!というぐらいに、最後はリテラシーでまとめられるようになりました。
などなど。他にもいっぱいあります。
しかし、そう書かざるを得ないのは仕方がないとして、実際には
だと思われます。
その理由は簡単。
メディアリテラシー教育を充実させても
ということは、
です。
すべての教育活動というものは、その教育の成果を高く享受する者と、その教育内容が入り込まない者を生みます。
その教育内容が入り込まない者は、教育を受ける機会が平等に訪れても、まるで教育を受けていないかのように振舞ってしまいます。
これは、近年言われている「日本人の3割は、日本語を実は理解していない」みたいな話と繋がってきます。
そして、低賃金労働に従事するのは「日本語を理解していないほうの人たちである」という笑えない現実が生じているわけですね。
そうすると、最終的には何が起こるかというと、
と
とに分断されるということです。
たとえば、「すき家」や「くら寿司」で言えば、
のであれば
ことが起きます。
そうすると、高付加価値・高価格帯の店に移行せざるを得ません。
逆に、今までどおりの「低価格・低コスト・低賃金・低人材」路線で行くのであれば、
と開き直るしかありません。
「そういうもんだから安いんだ」
と。
==========
こういうことが繰り返されてゆくと、最終的には、日本人の特性としては
と思われます。
残念ながら日本人は、今のところ
についてあまり意識していません。
これは別に悪いことではないかもしれません。
ということは、けして単純な悪ではないからです。
しかし、そう書かざるを得ないのは仕方がないとして、実際には
「リテラシー教育は、たぶんムダ」
だと思われます。
その理由は簡単。
メディアリテラシー教育を充実させても
「メディアリテラシーの偏差値が高い学生、若者」
と「メディアリテラシーの偏差値が低い学生、若者」
が生じて、結局のところ、「メディアリテラシーの低い若者が、低賃金労働に集約され、バイトテロを起こす」
ということは、
現在起きていることとあんまり変わらないから
です。
すべての教育活動というものは、その教育の成果を高く享受する者と、その教育内容が入り込まない者を生みます。
その教育内容が入り込まない者は、教育を受ける機会が平等に訪れても、まるで教育を受けていないかのように振舞ってしまいます。
これは、近年言われている「日本人の3割は、日本語を実は理解していない」みたいな話と繋がってきます。
そして、低賃金労働に従事するのは「日本語を理解していないほうの人たちである」という笑えない現実が生じているわけですね。
そうすると、最終的には何が起こるかというと、
「高付加価値、高価格帯、高学歴なサービスと人材の世界」
と
「低付加価値、低価格帯、低教育歴なサービスと人材の世界」
とに分断されるということです。
たとえば、「すき家」や「くら寿司」で言えば、
「教育や人材選別にお金をかけ、そのコストを支払って体制を整える」
のであれば
「100円やら360円やらで飲食を提供できない」
ことが起きます。
そうすると、高付加価値・高価格帯の店に移行せざるを得ません。
逆に、今までどおりの「低価格・低コスト・低賃金・低人材」路線で行くのであれば、
「従業員の質がちょっとくらい悪くても文句言うな。そういう店だ」
と開き直るしかありません。
賞味期限切れ寸前のジュースが50円で売っている自販機のようなものです。
「そういうもんだから安いんだ」
と。
==========
こういうことが繰り返されてゆくと、最終的には、日本人の特性としては
「すべての商品・商材は高コスト・高価格帯に移行する」
と思われます。
残念ながら日本人は、今のところ
「社会階層と生活分断」
についてあまり意識していません。
「え?牛丼屋なんて、派遣労働者の食事でしょ?」
「100円寿司なんて、低収入の人たちがいくところでしょ?」
といった差別的ニュアンスを含んだ言説に購入者も、提供者も心が耐えられませんから、徐々にこうしたデフレ価格帯の商品は「コスト高、価格高」に移行すると思います。これは別に悪いことではないかもしれません。
「高いコストをかけて、高い商材を高く売る、そして従業員には高い給料が出る」
ということは、けして単純な悪ではないからです。
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