2018年1月8日月曜日

マンガ家アシスタント残業問題の本質 ~師弟モデルの崩壊が示すもの~



 マンガ家のアシスタントが「残業代を請求する」というお話があちこちで炎上、盛り上がりを見せているようで。



【炎上】人気漫画家うすた京介先生が炎上 / アシスタント残業代未払い騒動で飛び火「嫌なら就職しなさい」発言
 http://buzz-plus.com/article/2018/01/08/usuta-kyosuke-ashi/



 アシスタント側や、マンガ家側、それぞれの意見がけっこうガチンコ本音で飛び出していて、大変興味深いなあと思いながら見ています。




 もちろん、私は漫画業界に詳しいわけではないので、「どうあるべきか」「どうあるのが正解か」については、その業界の人たちのこれからの議論にある程度お任せになってしまうのですが、この話と本質的には同じようなことが、いま日本中で起きている件にかなり関心を持っています。


 たとえば、学校の先生と生徒の立場がずいぶん変容してきたり、教師の部活動(これも残業がらみ)が問題になったり、あるいは、企業で新人の扱い方に悩みが増えたり、とすべてこれらは関連して同じ事象を指し示しているのです。


 それは、日本人を長年支配してきた



「師弟モデル」



が、いよいよ崩壊したのだ、という点です。





 マンガ家のアシスタントが、薄給もしくはブラックな条件で雇用されてきたのには、マンガ家という「師匠」とアシスタントという「弟子」の関係というニュアンス・側面があったため


■ 経験を積ませてもらえるのだから、多少の恩返し分が労働に上乗せされても仕方がない


という感覚が双方に残っていたと言えるでしょう。




 学校現場には、いまだに、教師と生徒の双方に少しだけ「師弟関係モデル」が存在していて、それがうまく機能していると「よき経験、よき体験」として持ち上げられるものの、逆に一旦こじれると「強権的、支配的、あるいは体罰」などの形でネガティブに問題が噴出するということが起きています。



 企業における先輩と新入社員、あるいは上司と部下の関係もずいぶんと変容してきました。昔であればある程度「上のものに服従し、従属する」ことが双方の合意でしたが、現代は新人さんが入ってくれば入ってくるほど「個人が成長するためのサポートとして上のものはふるまうべき」な感覚が増えているように思います。



 つまり、「上のものが、下のものを教え導き、下のものが上のものに従属する」という師弟モデルは、いよいよ崩壊したということです。




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 師弟モデルが無くなった今、存在しているのはどんなモデルなのでしょう。それは、「個人モデル」とも言うべき形態です。


 しかし、ただ個人がぽつんとそこにいるだけでは、関係性も生まれず、仕事も遂行できないので、より正確には、


「個人・活動(労働)モデル」


のような言い方のほうがわかりやすいかもしれません。


 これまでの「師と弟」「先生と生徒」「上司と部下」「先輩と後輩」を因数分解すると、これらの関係性は、


「知識技能を販売する者と知識技能を買い取る者」


という形に変化させることができるかもしれません。



 たとえば、教師は知識技能を販売し、対価として給与を得ます。生徒は知識技能を買い取り、対価として授業料を払います。

 漫画家であれば、「アシスタントが技能の一部を販売する」わけですから、漫画家はそれを買い取るわけですね。これなら、アシスタントたちは文句を言わないでしょう。




 ところが、このモデルを立案すると、困ったことがいくつか起きてきます。勘のするどい方ならこの矛盾というか、問題点はすぐに気付くと思います。



 問題点1は、「そうなると、誰かが未熟な者を育成するという視点が消えてしまう」ということです。


 問題点2は、「直接雇用関係がある者どうしはよいが、間接的な関係ではあやふやになる」ということです。





 師弟関係というのは、そもそもが「未熟なものの育成」が目的ですから、 知識や技能を販売し、買い取るには「すでに技能に習熟している」ことが必須です。すると、未熟なものは、いつまで経っても買い取れないわけで、今まではそこにつけこんで


「未熟であるからブラックな条件や安価で買い叩くことができた」


とも言えるわけですね。


 これを解決するために生まれてきたのが、たとえばマンガであれば「漫画家を育成する各種学校やマンガ学科のある大学など」です。


 こうした機関を介在させれば、未熟であることは金銭による教育で解決できることになる、という仕組みです。

 マンガ学校の教師はたしかに師ではありますが、その学生はお金を払って学んでいるため、従属する必要はありません。そこでどんな活動をしても、マンガ教師のために労働するということは、基本的には起きないようにすることが可能です。



 しかし、もし全ての未熟マンガ家志望者が、学校を通して「ある程度完成された状態で市場に放出される」とすれば、何が起きるでしょうか。マンガ家アシスタントは、基本的には「プロとしての傭兵」であるわけですが、技量は論理的にはマンガ家と同等ですから、


「ライバルを一時的に雇用している」


という状態になることは予想されます。




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 この「ライバル状態」を内在しているのが、問題点2の「雇用者と被雇用者以外の関係性」についてです。


 上司と部下、先輩と後輩は、たしかに企業において「仕事の指南役と新人」という関係を生み出します。あるいは、部下を育成するのは上司の務めであるとも一般的には思われているでしょう。



 しかし、それらは「上司や先輩の立場が安全であれば、成立するが、もしのちにライバルになるのであれば、成立しない」という問題をはらんでいるのです。



 年功序列で、雇用が守られている場合、上司は部下に仕事を教えることで自分の仕事が楽になるため利益を得ますが、雇用がフリーに近づけば近づくほど、「上司や先輩が部下に仕事を教えることで自分の利益になることが減少する」ので、この関係性は成立しなくなります。下手すると、同じ仕事ができるなら「取って代わられる」可能性もあるのですから。



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 こうしたことから、師弟モデルが崩れると、何が起きるかは明白です。



 まず、未熟なものが「学ぶ」ということについては、



 非金銭的見返りによって、それを対価に指導を請うことができなくなり、金銭的対価を払って知識や技能を得る



ということになります。そして、ある程度技量を持ってから、市場に出て行くということが生じるでしょう。



 そして、市場では常にイス取りゲームのように技量を持つもの同士が仕事を奪い合うので、さながら戦国時代のような事態が増えることになります。


  これは個人事業においても、企業の内外においてもそうなります。



 とすれば、各人はさながら、戦国武将のように、時には仲間になったり、時には家臣となったり、あるいは時に裏切ったりしながら、自己の生き残りを遂行するわけですから、「個人・活動モデル」とは、つまり




「戦国武将モデル」



であるということになるわけです。




 ところが、戦国時代と違うのは、戦国時代であれば、自分が戦功を上げていく過程で「非金銭的見返り」を用いて主君に見立てたものに従うことが出来た

 (秀吉は草履を温め、三成は絶妙にお茶を出した、など)
 
のに対して、現代ではそれが忌み嫌われるのですから



「そもそも金銭的に有利なものが有利」




になってゆきます。経済的弱者が、非金銭的見返りというウラワザを使わないで、この戦いに望むのが、以下に不利な展開か、想像に難くありません。




 おそらくもうすでにそうした社会が構築されつつあるわけですが、そうなると、その社会で一番被害をこうむるのは、



「未熟で一人立ちできない、金銭的にも仕事も持っていない者たち」



ということになるでしょう。残念で冷酷ですが、マンガ家のアシスタントで食べており、自分でデビューできない者は、おそらく滅びてゆくことになります。


 一方で、金銭的余裕がある者同士は、一定の技量を切り売りすることもできるようになるかもしれません。


 すでにプロ同士のマンガ家が、高い給与を融通しあって、傭兵として技術だけを売りあうことが起きる可能性もあります。



 戦国武将、藤堂高虎なんかは、まさにそういう傭兵的な生き方もしていたわけですが、参考になる部分が多いことでしょう。





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