2017年12月1日金曜日
【学校をめぐる諸問題07】 なぜこの世界は生きづらいのか ~黒髪と校則とリクルートスーツから~
現代ビジネスの記事に面白いものがあったので紹介します。
日本人の「心情」はすでに大震災前に戻ったのかもしれない
~なぜこの社会は生きづらいのか~
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53629
精神科医の堀さんという方の記事なのですが、やや話が難解な書き方なのでわかりにくいと感じられるかもしれませんが大変に興味深い話をしておられます。
簡単に骨子を書くとこんな感じ。
■ 日本人は、ルールを作って運用する人間関係は苦手。
■ 日本人は、身分や上下を明確にしたがり、それが明らかだと意外と従順に従う。
■ 一般には封建的な考え方や、身分的な考え方は悪で、民主主義や平等は善だと考えられている。
■ しかし、日本人は、建前上(オモテ)は民主主義や平等を口にするが、本音(ウラ)では権威主義で封建的な生き方をしている。
■ 一般論から離れて考えると、権威や身分は単純な悪ではない。メリットもある。
■ 一般論から離れて考えると、民主主義や平等にもデメリットがある。
いわゆる「本音と建前」のように、物事にはオモテウラがあるので、よけいに日本人として生きる中ではわかりにくい、ややこしいものとなっているのですが、それが日本的生きづらさの原因となっているのではないか、という話でした。
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堀さんが例として挙げているのは、
『 平等的な思想を主眼とした取り組みをしたら、一見すると結果が上がった。しかし、平等を重んずるあまりに権威や身分を否定し始めると、チームや組織が崩壊した』
という医療現場の実態がありました。
彼の言い方を借りれば、「権威的なもの」が旧来からあったけれど、近年は「反権威的なもの」も力を伸ばしてきて、それらが矛盾するから生きづらさが生まれている、というわけです。
特に、今の若者はその2つの間で板ばさみになっているから、「立ち去るか引きこもるかしかない」というわけで。
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この堀さん的視点で、たとえば校則や黒髪強要について考えると、現代の日本人が抱えている問題点がわかりやすくなってきます。
とある高校生が地毛なのに黒髪を強要された、という訴えから先日「校則とはどうあるべきか」という議論が沸きましたが、結論から言えばとても簡単な図式です。
「表向きは、個性は大事であるとか、人権が大事であるということになっているが、実際にはその学校の周辺の住民や、企業の採用者は、『個性的な茶髪はいらない』とか『服装の乱れたものは見下そう』と考えているから、それを知っている学校・教師としては校則や規則でしめつけなくてはいけない」
ということが起きているわけです。いわば学校は、世間に対して忖度しているわけですが、これを強制するから権威主義的であり、封建的に見えてしまうということが起きるわけです。
ところが、まったく同じことを大学3年生~4年生になると、今度は生徒自身が、世間に忖度して「茶髪でも黒髪に戻したり、みんなが没個性的なリクルートスーツを選ぶ」ことをやりはじめます。
結果としてはおなじ行為を行うのだけれど、この文章の最初のほうに述べたように
権威主義的で封建的なものは悪だよね
ということになっているので、学校は悪者にしやすいわけですね。
もちろん、学校からすれば、それならほったらかしにして好きにすればいい、と思っているわけですが、実態は「服装や髪を自律的に忖度して世間さまに合わせられる能力がある」生徒と「そんな器用なことはできない」生徒がいるわけで、そのために
偏差値の高い高校の生徒は制服も校則も比較的自由(忖度できるから)
偏差値の低い高校の生徒ほど、世間の目を代弁する教師によって締め上げられる
ことが現実に起きているわけです。
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これらは日本的社会のある意味最大の特徴なので、治りません。だから、そのしくみを理解して世渡りするものだけが最終的に得をします。
学校の教師たちは、基本的には生徒に損をさせたくないので、最大公約数的に没個性で従順な人間を育てようとするわけです。
もちろん、中には突然変異的に、個性的かつ高能力な者がいるかもしれませんが、学校側からすればそうした能力の高い人間は、偏差値教育の中で上位に選別されてそういう学校に行っている確率が高いので、これまた最大公約数的に、没個性な指導をすれば結果的に数学的には正解になるわけです。
もし、本当に民主的で平等なルールを制定したいなら
20歳までは法的に責任を持たされるべき
「PTA(保護者)に校則を作らせる」
のが一番です。
まあ、そうすると、子供たちが損をしないように、という意味では最も強力で制限的な校則が出来上がることになるわけですが(笑)
あるいは、仮に自由な校則が出来て、生徒達が将来損をしても、それは保護者の責任ということでいいのではないでしょうか。
可哀想なのは、何にも知らずに「自由と平等は正しい」と思いながら世間へ出てゆく子供たちですね。
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