2017年6月28日水曜日
phaさんという生き方について思うこと ~「高学歴ニート」や「働きたくない」はカテゴリや思想ではなく、個人の物語である~
Phaさん、という方の生き方が、いろいろな意味で注目されているようです。
私は、この方を存じ上げているわけでもないし、彼の業績や行動についてそれほど詳しいわけではないのですが、ネット界隈での彼への共感やら評価やらを見ていると、とても面白いことに気付いたので、さらりとまとめてみたいと思います。
もちろん、最初に断っておきますが、私はPhaさんの生き方そのものについて、肯定も否定もしません。彼そのものを評することは、まったくありません。
その理由は、この記事の終わりのほうで、自然と明らかになると思います。
Phaさんという人を簡単に説明すると、以下のような生き方を実際に体現しているそうです。
■ ニートであり、(基本的には)働かない。
■ ネットなどから最低限の収入を得ている。
■ ギークハウスというシェアハウスを運営している。
■ 「ニートの歩き方」などの出版物を出している。
■ 京都大学を卒業しているが、一般の企業人生活は向かなかった。
■ 働きたくない、を公言している。
(細かいところが間違っていたらごめんなさい)
さて、こういう人なので、「スーパーニート」とか「日本一有名なニート」とか、「天才ニート」とか呼ばれているわけですが、彼の
「働きたくないなあ」
という姿勢は、多くの若者の共感を呼んでおり、
「Phaさんのように生きてみたいなあ」
という一種のあこがれを産んでいるのだとか。
なので、彼の生活がテレビで取り上げられたりすると、かなり多くのネット民が、「Phaさんの生き方、思想はありなのかなしなのか」「自分もあのように生きられるのか」など、
心をざわつかせる
のだそうで(^^
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しかし、吉家から見ると、この現象は、いくら何十万人という「働きたくないぜ感」を抱く若者の共感を得ているとしても、
「Phaさんという生き方は、個人の物語であって、一般化はできないだろう」
と思います。そうです。
「Phaさんの考え方や思想は、Phaさん以外には再現できないだろうので、それを見聞きする者が共感するのは、実は誤認のようなものだ」
というわけです。
たしかに、仕事上つらい思いをしていたり、日々の労働に疲れている人々から見れば、Phaさんの生き方は一種の理想郷で、共感するに値します。
しかし、それは幻想であって、Pha的生き方というカテゴリが存在したり、Pha的思想が成立しているわけではありません。
これは別の人物名をあてはめるとよくわかります。
「イケダハヤトさんに憧れるが、高知へ移住できるか」
とか
「与沢翼さんに憧れるが、秒速で稼げるか」
みたいな問いを挙げてみればすぐわかることで、たぶん、日東駒専卒業のニートはPhaさんのように生きられないだろうし、あなたが京大に入れたらほぼ確実にニートはしないのです。
だから、Phaさんの生き方は理想卿でも、批判の対象でもなく、
「彼自身の、天命にも似たオリジナルストーリーであって、彼というキャラクターとともにある生き様そのもの」
なのだと言えるでしょう。
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Phaさんは、いちおうネットの世界で小さなものづくりをしたり、本を書いたりして収入を得ています。
そして、何かに属さず、可能な限り「好きなこと」をして生きている、という見立てができます。
私はアラフォーですが、私と同年代の人は、彼とある意味全く真逆で、デジタル世界に縁がなく、完全にアナログでありながら、ある意味全くおなじ香りのする天才を覚えていることでしょう。
その人物の名前は、
中島らも
と言います。
彼が職業作家であったかと言えば、苦笑する人が大半だと思います。
好きなことを心を研ぎ澄ましながら書き綴り、好きなことを好きなようにやり、ギークハウスならぬ自宅は、薬物中毒の謎の友達たちで溢れ、そして飲んだくれて飲んだくれて、飲んだくれて亡くなったらもさん。
彼は著述家ではありました。しかし、その仕事ぶりは、旧来の「作家というカテゴリがなんとか存在していた時代であったから作家」なのであって、現代にもしらもさんが生まれ変わってきたなら、
「絶対にニートになる」
と彼は喜んで日本一のニート著述家になったかもしれません。
ちなみに中島らもさんは、灘中・灘高へ通っていた賢い人です。(大学は大阪芸大へ進学しましたが)
そして繰り返しますが、らもさんと同時代の人は、
「中島らもは天才であった」
という点については万人が認めるところながら、
「中島らもに、自分もなりたい」
と思う人間は、たぶん一人もいない、という点で、彼は完全にオリジナルな存在だったことがわかるのです。
中島らもが超絶空前絶後の個人であったように、Phaさんも、ニートというタグをつけたオリジナルな個人です。
だから、Phaさんを見る人たちには、2つのポイントが求められるのだと思います。
一つ目は、
「Phaさんへの共感は大事にして、多いに感じ入ること」
そして、二つ目は、
「ひるがえって、 自分はどんなオリジナルの人生を生きるのか、自分だけの物語を生きること」
この2つです。
中島らもに魅せられた多くの若者が、中島らものコピーになれず、その後の人生を時には大笑いしたり、大泣きしたり、あるいはたまに飲んだくれたりしながら、今も生きているように。
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