2014年11月12日水曜日

【高校生のための”人生”の教科書23】 第五章 仕事をするとはどういうことか

 高校生のみなさんは、早い人では卒業してもう社会人になって仕事をするかもしれません。大学等へ進学する人でも、いずれは社会に出て「仕事」に就くことになるのが大半ですから、この章では


「仕事をする」


というのは、いったいどういうことなのかを考えてみたいと思います。


 ”なんのために仕事をするのか”


といった問いかけは、いつでもどこでも考えさせられるものです。お金を得て生活をするため、とか、社会貢献のため、とか、自己実現や成長のため、とかいろんな考え方ができるでしょう。


 しかし、ここでは最も原点に返ってみたいと思います。それは、人類に限らずあらゆる生物に共通である


「食物を外部から摂取して、生きてゆく」


という事実です。仕事とは、何よりもその根底に、「エサをゲットする」という究極の目的があることを覚えておくのは大事なことです。


 なぜ、こんなことをお話するのかといえば、この「人生の教科書」の第一章で確認したとおり、私たちは日本というかなり恵まれた国に生まれていますので、文明や社会が高度に発達してしまったせいで「エサをゲットする」という本来の目的が、いろんな考え方で上塗りされてしまっているから、もう一度原点に戻ろうと思うわけです。


 あなたが飢餓状態にある国に生まれたとしたら、「自己実現がどうのこうの」とか言っている暇はありません。とにかく食べられるものを食べて、生き残らなくてはならないわけです。


 あなたが戦争状態にある国に生まれたなら、「8時に会社に行かなくては」という以前に、町は砲撃で破壊され、明日会社が存在するかどうかもわからないわけです。


 あなたが独裁政権の国に生まれたなら、「社会奉仕」ではなく「独裁者に奉仕」することが生き延びる秘訣になるかもしれません。


 いずれにせよ、仕事をするということの本質はそうした甘っちょろい幻想ではなく、まずは


「おまんまを食べる」


ということに集約できることに、今気づいておくべきです。



 仕事をするということ。つまり、エサをゲットするということについて、人類は大きくわけて2種類の方法を生み出してきました。


 ひとつは、狩猟採集の方法です。野や山、海からエサを探してきて捕まえる、拾うという原始的ですが、今でも立派な仕事として成立している仕組みだと言えます。

 
 『まつたけ』というキノコは、ほぼ農作物として植えて育てる方法ではゲットできません。どこかマツタケ山に行って、生えているのを採集してくることで仕事が成立しています。


 漁業にも、養殖できる魚もありますが、うなぎなど「とにかく偶然に左右されながら漁で捕まえてくる」しかない海の幸もたくさんあります。


 狩猟採集は、原始人の仕事ではありません。現代でもこの方法は、さまざまな形で生き残っている重要な「エサをゲットするしくみ」なのです。


 もうひとつは、ご存知の通り「農業」という形で人為的に育てる方法です。たんぼやお米を見慣れている私たちは、「農業」によって「エサをゲットする」ということを長い歴史の間に大切にしてきました。


 農業によって、偶然によって収穫量が違ってしまう「漁・猟」から少し進歩して、安定的に「エサをゲットする」ことができるようになったので、私たちの暮らしはやや楽になりました。



 仕事というのは、繰り返しますが根っこの部分は「エサをゲットするしくみ」そのものですから、狩猟採集なのか、農業なのかの2パターンしかありません。


 ひらたく言い直せば「そこらへんに仕事が転がっているのを、偶然的に拾ってくる」仕事と、「定期的、安定的に何かを生産して、それで食べてゆく」仕事の2通りしかないわけです。


 あなたが将来就くであろう職業も、大きく分けるとこの2つに集約できます。


 メーカーに勤務して、サラリーマンになる人は、ざっくり言えば「農業的」です。計画的、安定的に何かを製造して、それを順次出荷することでお金を手に入れるという意味で、農業に似ています。


 太陽光発電のセールスマンは狩猟採集に似ています。どこの誰が「工事して」と頼んでくるかは決まっていません。偶然の顧客によりたくさん出会うために、家々を訪問したり、電話をかけたり、ショッピングモールでイベントをやったりして仕事を拾います。


 モノを書く職業でも、新聞や雑誌の編集に携わる人は、定期的にそれらのメディアを発行してお金にしますから農業的です。


 おなじモノ書きでも、フリーのライターは、いつでもどこでも飛んでいって「仕事を探し、もらってきて」記事を書きますから、狩猟採集民です。


 スポーツ選手の大半は、狩猟採集生活を送っています。すべては運と実力と成績が人生を左右します。


 水道局に勤めていれば、おそらく半永久的に人類は水道をつかうでしょうから、仕事が亡くなったり、変動したりはしないでしょう。


 おなじ公務員でも、消防局勤めは、給料は農業的にもらえますが、火災そのものは偶然で突発的に発生しますから、仕事そのものは狩猟採集的だと考えられます。



 というわけで、高校生のあなたが将来仕事をするときには、「その仕事の狩猟採集的要素、その仕事の農業的要素」について考えておくと、きっと良いことがあると思います。


 あなたが、バクチ打ちではないのに、狩猟採集的要素の高い仕事についてしまうと後悔するはめになることもあるでしょう。


 たとえば、安定していると思い込んで原子力発電に関わる仕事についてしまったとしたら、原子力の仕事は事故のせいで一気に激減してしまったりするわけです。


 逆に、狩猟採集的要素の高い仕事についたことで、高い給与を手にいれることだってあります。ITブームに乗っかるとか、不動産バブルに乗っかるとか、そういう仕事でウハウハな時代をすごした先輩もたくさんいるからです。


 しかし、重ねていいますが、仕事には「狩猟採集的要素、農業的要素」の2つが存在していることは、やっぱり大事なことなのです。

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