2018年8月22日水曜日

■【資本主義をハックする 7】 経済的に豊かであるとはどういうことか



 毎度おなじみ、資本主義社会の片隅でひっそりと生きているおぢさんが「どうやれば資本主義をハックして経済的に幸せになれるのか」をまじめに考えるこの企画。


 今回は、「経済的に豊かであるとはどういうことか」について考えます。



 昨今の日本では「生産性を上げる」とか「生産効率をアップさせる」みたいなことが目標のようによく言われますが、これらの言葉は、その定義や意味合いにおいてはかなり


 いい加減


なことばで、眉唾でもあり、気をつけたほうがいい言葉ですね。



 ざっくりくりくりと言えば、これらの「生産性」とは


■ 少子高齢化で労働人口が減るが、GDPをなるべく維持してお金が動く国でありたい


という意味で、 けして


■ 一人あたりの労働コストを減らしつつ、パフォーマンスを上げて楽して稼ぎたい


という意味ではありません。なぜなら、これを追求すると、


一人あたりの給料を上げて、そのことで結果的にGDPが上がる


ということになるので、政府や財界は


「いや、ちょっとそれは違う、それはあまり望んでいない」


という本音になるからです。



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 日本は、アメリカと中国に次いで第三位の「経済大国」だといいますが、一人あたりGDPについては日本よりはるかに


効率がよく、生産性が高い


国はたくさんあるのですが、そこを目指しているわけではないのです。あくまでも


せめて第三位は維持したい


という感じでしょうか。



 そのことの是非や、良し悪しはひとまず脇へ置いておきましょう。


 とりあえず、「経済大国であるということは、一人当たりが豊かであるかどうかではなく、総数において豊かであることを目指しているんだ」ということをここでは押さえておきたいと思います。



 それに対して、世界でも貧困状態にある国はたくさんあります。また経済的に疲弊している国もたくさんあるでしょう。

  そうした国は貧しく、あるいは我々は世界的にみても「豊か」であるとひとまずは言えるのですが、では「豊かであるとはどういうこと」なのでしょうか。



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Aという国でも、肉らしきものや野菜らしきものが流通していて、人々が暮らしを営んでいる。

Bという国でも、同じように肉らしきものや野菜らしきものが流通していて、人々は衣食住を享受しながら暮している。


しかし、Aの国では、平均月収が20万円相当で、Bの国では平均月収が2万円相当だとしましょう。

Aの国が豊かで、Bの国が豊かではないのは、いったいどういうことでしょうか。


 一般的には「そりゃ、Aが経済発展した国で、Bが発展途上にあるからだろう」という答えで片付きます。しかし、どうして


おなじ肉らしきものや、野菜らしきものが流通していて、値段や価値が異なる


のでしょうか。同一賃金、同一労働なんて言葉が理想とされますが、


「同一肉同一価格、同一野菜同一価値」


でもいいはずなのに、実際にはAの国の豚の価格と、Bの国の豚の価格は異なるのです。



 この不思議な現象の答えは、豚さんだけを見ていてはわかりません。Aの国では、農作物、畜産物だけでなく、木工品、機械類、電子部品、あるいは商業サービスなどの多くの商品がたくさんの種類が流通、提供されていて、Bの国では、おそらくですが、Aの国よりも、製作物やサービスの総物量が少ないのです。


 日本ではありとあらゆるものが生産され、流通し、加工され、消費されていますが、発展途上国では、わりと限られた農作物や資源からの生産物が提供されてはいるものの、それ以外の多数の商品は「購入するのみで、生産していない」ことが起きているわけです。


 ということは、「豊かである」ということはまず第一段階として



「よりたくさんの商材が回転していることが、経済発展つまり豊かであることの正体だ」


と言えるでしょう。回転、といいましたが、消費だけが突出しているとダメで、「生産や流通、提供」が多いほうがよいということでもあります。


 その点では、「モノづくり」が強かったかつての日本が経済発展をして、現時点で「モノづくり」の雄である中国が経済的に豊かになっているのは、納得できる答えです。

 ついでですが、生産されるものは、モノだけでなくても目に見えない「サービス」であってもかまいません。とにかく「何がしかの商材たりえるもの」が高速、高回転で廻っていることが「豊か」であることの正体なのです。



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 もうひとつ、第二段階のポイントもあります。たくさんの商材が回転していることは大事ですが、それが


「より高価格・高付加価値である」


ことが、豊かであることの2つめの正体です。 シンガポールではモノの生産が日本より少ないけれど、金融サービスの提供価格が高価格で高付加価値なので、一人当たりのGDPを押し上げることができるということですね。



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 ということは、私たちが豊かになるためには、2つのポイントがあるということです。


 私たちは仕事をしていて、24時間漫然と生きているけれど、


「よりたくさんの仕事を行えば豊かになれ、かつ、より高価格高付加価値の仕事を行えば豊かになれる」


ということです。当たり前だけれども奥が深いです。これは、言い換えれば



「じっくり物事に取り組むよりも、より効率がよい働き口へ変わったほうがいい」


とか


「可能な限り副業などをして、たくさんの収入源を持ったほうがいい」


ということになるからです。


 残念ながら、「ひとつのことに腰を落ち着けて長く取り組む」ということは、非効率ということになってしまうのです。


(そりゃ、意識高い系の若者が、すぐ転職したくなるのもわかりますね)



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 豊かであるということは、間違えてはいけないのは


「たくさんのものを所有していることが豊かであるということだ」


というわけではないことです。



 アフリカの部族の酋長さんが、広大な土地と家臣たちを所有しているとしましょう。しかし、その人たちは、狩とちょっとした農産で日々を過ごしているわけで、酋長は「たくさん所有している」けれど、


「経済的に豊かである」


とはいえません。残念ながら、あなたも、アフリカの広大な土地を上げるから酋長のように暮してください、と言われたら断るでしょう。


 なんなら北海道の結構な広さの土地と水源を格安で譲ってもらっても、ちょっと困るだけではないでしょうか。


  その土地が「交換・取引可能」であったり、「水源の水を販売」できてこそはじめて、経済的に豊かである、と表現できるようになるのです。



 ということは、これもポイントです。



「大切なのは、たくさん所有することではなく、たくさん回転させられるしくみを手に入れていることだ」


ということですね。


 たとえば、自動的に毎日、毎時間チャリンチャリンと小銭でもいいから自動的に自分に入ってくるしくみを持っているとか、そういうことが多いほうが、


「豊かになれる」


ということです。そして、できれば私たちは国や財界と異なり、「自分のコストを下げて、結果入ってくるパフォーマンスが大きいほうがいい」ということもツボです。


 この仕組みを思いついた時点で、いっさい所有していない庶民でも、豊かになれる、というわけです。こりゃあ、面白い話ですね。


















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