2018年8月1日水曜日
<実国学を考える25> 日本の欠点である「無兵站思考」 ~ママは兵士なのか~
ヨシイエさんは、一応子育てをしていて、うちでは専業主婦の奥さんがその部門の中核を担いながら、夫である私が時にバックアップをするのですが、
家庭とは何か、子育てとは何か
という問題を考えると同時に
兵站(へいたん)
ということばが頻繁に頭に浮かぶようになりました。
兵站というのは、簡単に言えば、軍隊が最前線で戦っている時に、後方から物資を送ったり、負傷した兵士を救護し入れ替えたり、あるいは進軍に従って輸送を順次繋いでゆく後方支援を指す言葉なのですが、
はて、家庭には兵站があるのか
ということをすごく考えさせられるわけです。
よく、働くお母さん達が、保育所に子供を預けていて、子供の熱が上がってしまったので、仕事を切り上げて迎えにいかなくてはならない、なんて場面が問題にされますが、
働くお母さんには、兵站がないので、最前線から引き上げなくてはいけない
ということが起きているわけですね。
そういう意味では、一見すると「保育所などを整備することが、働く母親を支援することだ」とみんなは思いがちですが、実際には、「保育所は兵站になっていないので、最前線から働く人を引き戻してしまうシステムである」ということになるのです。
本当に、働く人を支援するシステムであれば、
「熱を出した子供を安全、安心に保護してくれる場所」
が確保されていてこそ、それが故に「お母さんは安心して働ける」ということになるわけですね。
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先日、こんなことがありました。話そのものはすごく小さなことですが、実は大事なことだと思います。
上の子供が小学生で、夏休みのプールが開放されていて、その監視当番をお母さんたちが交代でやるのですが、
「監視に当たっては、いざというときに危険を伴うので、小学校未満のきょうだいを連れてこないでください」
ということが取り決められているのです。
とすると、うちの奥さんは、小学生である上の子の子ども会・PTA当番でプールの監視に行くのだけれど、下の子は幼稚園児なので、連れて行けない。はてどうするか、となったのですね。
■ 一日だけ、どこかの施設と契約して子供を預かってもらうのか
■ おじいちゃんおばあちゃんがいる家庭や近くに親族がいればそこに頼むのか
■ 結果的にヨシイエの会社に連れてきて、ヨシイエが仕事しながら預かったのだけれども。
ええ。結論は私が預かったんで、それはなんとかなったのですが、なんとかなったというよりは、無理やりイレギュラーな対応をしただけで、普通の会社だったら、幼稚園児の子供をお父さんは預かることはできないと思います。
つまりは、ヨシイエさんは、いちおう会社の偉い人なので、特権を最大限に利用しただけなんですわ。
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小さなことのようでありながら、こういった矛盾や、そもそも「そういう場合の想定がなされていない」ことは多々あって、これは、端的に言えば、
「日本人は、兵站のことを全然考えていない」
という欠点であると思います。これは、改めたほうがよろしい。
「一億総活躍社会」
と耳さわりのよいキャッチフレーズが挙げられている現代社会ですが、 その一億は、全員
「最前線のソルジャー(兵士)」
としてイメージされているだけで、兵站として支援する人たちのことを全く考えていないことがわかります。
たとえば、保育の業務ひとつにとっても、「お母さん兵士の支援として、保育所という兵站があります」というわけではけしてなく、子供が熱出したらお母さん兵士は戦場から呼び戻されるわけですから、実は
「保育士というソルジャー」
がまたそこに作られて最前線に送りこまれているだけなんですね。
「保育士の子供が熱を出したら、保育士は家に帰らなくてはいけないのだ」
なんて笑ってはいけない笑い話が生じるのも、まったくもって兵站を無視しているからです。
ベビーシッターが家にいる、というのが兵站的発想です。仮に子供が熱を出しても、シッターさんによって寝かしつけてもらえるならば、お母さん兵士は前線から戻る必要がないわけで、
つまりは、この国に兵站思考があるのなら、ベビーシッター代を賄えるだけの補助金を出すべきであって、保育所を増やす必要はない
ということになるかもしれません。
「一億総活躍」という言葉は、
「進め一億火の玉だ」
という、総員兵士の玉砕志向そのものです。
太平洋戦争時から今まで、日本の思想はぜんぜん変わってないということがわかります。
先の戦争で結局日本が敗れたのも、「兵站」思考がなく、せっかく征圧した海外の諸所を、兵站によって
維持確保し続けるという考えに足りないところがあって
そのために、結局連合国に奪い返されたのだ、という論説もあるほどです。
実は、戦後のインフラもそうで、道路やトンネル、鉄道なんかも
「いけいけでどんどん作るのだけれど、適切な維持ができず、すべて老朽化してトラブルばかり起きている」
のが現在ですが、これも「兵站思考」の欠如と関係があるかもしれませんね。
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このように、実国学の視点から見ると、最前線の兵士と、後方支援の兵站は一体となって運用されるべきです。
目先のGDPのアップや、社会での活躍という言葉に踊らされずに、家庭における「兵站」のあり方を考え直すのは、いかがでしょうか。
うちは奥さんに専業主婦をしてもらっていますが、「時にどちらが社会において表に立ち、どちらがバックアップするか」ということはとても意識するようにしています。
子育てだけでなく、家庭の取り回しすべてにこの兵站思考を盛り込めば、もっと暮らしよくなるかもしれません。
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