2018年5月10日木曜日

格差の本質 ~田舎から東大に入った阿部幸大氏論考への最終結論~



前回の記事


 
格差とは何か ~拝啓 阿部幸大さま~ 格差は地域が生むのか、それとも世代か。
 https://kotaro-yoshiie.blogspot.jp/2018/04/blog-post_30.html


は、はからずもたくさんの方に読んでいただいたようで、感想もいただき感謝しています。






 さて、今回この「阿部幸大氏論考」について、北海道の大学の先生から、新たな考察が登場したのでそちらも紹介しておきます。



 田舎から東大に入って絶望した彼に、北海道の単科大学教授が伝えたいこと
 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55589

(現代ビジネス)



 しかしまあ、そもそも阿部氏の記事を載せた現代ビジネスさんが、本人の弁解も他人の反論も載せてしまうあたりが


「盛り上がってきたので、いいぞ!どっちの側でもいいからもっとやれ!」


と焚き付けているようにも感じて、「現代ビジネス、おぬしも悪よのう」と思うのは、ヨシイエだけではありますまい(笑)




 新たに記事を書かれた水野氏の結論が、意外にもワタクシ吉家の結論とまったくおなじだったので思わず苦笑したのですが、どうもこの話のオチはそこしかないようで。





 吉家の結論

 『阿部氏には、アメリカに居るのではなく、釧路へ戻って、次の世代を育ててほしいなあ、と思いますがいかがでしょうか。』





 水野氏の結論

『阿部幸大氏は東大を経て現在はアメリカで学究に励まれているようであるが、「文化と教養の格差」克服のために、ぜひとも将来は釧路に戻られ、地域の若者に薫陶を授けていただきたいと思う。』




 そだね~、それしかないよね~。




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 さて、もはや結論は出てしまっているので、阿部幸大氏が今後釧路で活躍なさることを祈るばかりなのですが、せっかく水野氏が


「北海道論考」


をなさっているので、そのあたりにも触れておきましょう。



 水野氏は大学教授なので、学生にもこの話題を問うたそうですが、 その学生さんの意見を引用させていただくと以下のようになっています。


「釧路と札幌・東京を比較すると、やはり教育格差や進学意識の差は確かに大きいです。私の場合には、親戚のなかに大学に通う従兄妹がいたこともあり、大学を含めた進学のイメージが描きやすい環境にありました。また、高校進学に向け学習塾に通っていたことも高校の先に大学という上級教育機関があると認識するきっかけになりました」


「阿部氏の主張通り、この機会を得るには家族の経済力や自分の子供に対する教育意識が影響していきます。もし生活が厳しい場合や身近に進学する知人がいなければ、より進学というものが疎遠になると思います」




 これをよく読むとすぐわかるのですが、この意見は「都市か田舎か」の話ではありません。



 大卒が近くにいるか、大卒が近くにいないか



の話だということです。



 ということは、これは都市部でも「家族に大卒がいない」と「近しい人が大学進学を理解してくれない」ならば起こり得るということをまず確認しておきたいところですね。



  だからこそ水野氏の結論も「人がそれを次の世代に繋いでゆくことが大切だ」となるわけです。





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 さて、話は変わって水野先生の「北海道論」ですが、こちらは阿部氏のように誇張がない分、比較的おだやかで受け入れやすいものになっています。


 しかし、そうは言っても水野先生の論にも抜け落ちている視点があるので、今回はそこらへんもヨシイエさんが補完しておこうと思います。





■ 北海道人は「開拓者精神」があるわけではなく、内向きであるという道民性

 水野氏の論は、基本的には誤認を生むような書き方や、誇張はありません。その意味では、開拓者精神がないという点も、内向きであるという点も、ある程度北海道在住の人は納得できるものがあろうと思います。

 その理由は簡単で、「そりゃ開拓したのは明治時代の人で、根付いてしまえば開拓しなくてもいいし、むしろ道内経済は縮小している」というぶっちゃけ話になるのですが、話はそんな単純でもないのです。


 北海道は、物理的に海で他地域と離れているということもそうですが、それこそ明治時代から「開拓使」が置かれた時から「中央政府の管理下」に属した来た歴史が長いです。


 なので、たとえば東北地方なら「山形城があってな、山形藩があってな」とか「伊達の殿様がいてな」とそれぞれの地方に中心となる地域や組織があったのですが、「道庁には中央からの役人が派遣され、道庁のその上はズバリ東京政府」という感覚が根強いのです。


 これは今でもその傾向があって、私企業でも、「東京本社と札幌支店が繋がっている」という感覚になります。

 これが関西だと「大阪本店があって、登記上の東京本社があって、各地に支店がある」みたいな会社とか、「うちの会社は全国に支店があるが、発祥は広島だ」とか、中央を中心とするピラミッドになっていないことが多いのです。


 すると何が起きるかというと「中央から来た偉い人たち」と「現地で働く僕たち私たち」という二極化が生まれることになります。

 この「僕たち私たち」が内向きになりますが、「中央から来た人たちとその末裔」は、外向き・ただし、青森や秋田はすっ飛ばしていきなり東京に向いています。





■ 就職先も地元志向で、都市との格差に気付くこともない


 ほかの地方や地域、田舎とは異なる事情が北海道にはあります。たとえば広島の片田舎の子でも、1時間もあれば新幹線で大阪へ行けるし、静岡の子や長野の子でも、チャンスさえあれば東京でずにーらんどへ行くことは比較的たやすいことでしょう。

 しかし、北海道の場合は、釧路から札幌まで特急で4時間かかります。道東根室から、新幹線に乗ろうと函館まで行くには、特急を乗り継いで8時間かかるわけです。

(そのため、よほどの鉄道マニアでなければ、鉄道利用で東京へ行こうと考える人は少ないと思います)

 釧路のジャスコまで120キロ自動車でぶっとばさないと「都市へも行けない」ため、これはどうしても地元志向にならざるを得ません。


 「日本人はどうしてアメリカで働きたがらないのだ!地元志向だ」と言っているのと同じというレベルなのですね。


 一方で、先に説明した「中央からの派遣組」の官僚の子や、東京本店から支店へやってきた人たちの子たちは、

『飛行機使って東京へ帰りてええ!!!』

といつも思っています。なので、2分化されたこっちのジャンルの人たちは、常に東京に目線が向いているのです。

 名作とされている「北の国から」のセカイですね。蛍と純は、北海道になんて来たくなかったのですから。


 また、北海道大学を出れば、道内ではどの企業においてもトップのように扱われます。内向きの世界でいえば北大生は「鶏口なるとも牛後となるなかれ」という意味において、生活は安泰です。

 なので、北大生もあえて外界へ飛び出さなくてもいい、という側面はあります。






■ 田舎において文化と教育の大切さを教えられるのは教員しかいない


 北海道大学やに入学した高校生の出身地域は、既に半数以上が道外出身で、同じく北海道で教職につく人材の半数が道外からの採用です。

 つまり、既に北海道の教育界や、道内において指導的立場にある組織群の人材は、「外からの文化的還流」をもたらしていると言ってよいでしょう。



 実はこの件については、まだルポやネット記事で明らかになっていませんが、日本の別の地域のほうが教育的には問題がある「田舎」がたくさんあるのです。


 それはたとえば「とある県では、とある県内の教育大学出身者ばかりで教職の採用を固め、他所出身からの採用を極力絞る」ということを現実にやっています。


(教職志望者は、そのあたりの事情はよく知っているはずで、既に分析も出ていると思います)



 その意味では、北海道の教員たちは、すでに頑張っているし、もっと面白いことを言えば、


「たいていの県では、教育委員会や校長会の実権を握っているのはその県の教育大出身者の派閥である」


けれど、北海道だけは異なっていて、


「北海道の教育委員会や、校長会の実権を握っているのは東京学芸大や筑波大学の系統の派閥である」


ということは覚えておいて損はありません(笑)


 なぜ、北大や北海道教育大系ではないのか、がこの疑問のツボです。先ほどお伝えしたとおり、北海道は常に中央の息がかかっていますから


「旧東京師範大」


の派閥が根強いのですね。これも北海道開拓使依頼の伝統かもしれません。




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 となると、総合的な結論で言えば、阿部氏も水野氏も「あなたは大卒者の支援を受けて外界へ出られてよかったね」というお話になるわけで、田舎に文化がないとか、そういう問題ではないことが明らかになるわけで。



 私は大卒者ですから、現在地方に住んでいても身の回りの子供たちや自分の子供に


「外へでて学んで来い!そして、また地方に根付いて頑張りなさい」


と言うことにしています。



 ある意味素晴らしいことに大学卒の学歴を持つ人たちは同世代人口の50%に近くなっているわけですから、阿部氏がこれから論客として復活するには



「大学全入タダにしろ!地方から出てきた学生生活費も面倒みろ!」



を主張する路線がお勧めですね。それを釧路から訴えるというのがいいと思います。鈴木宗男さんにも支援をお願いしてみるとよいでしょう。







2 件のコメント:

  1. 北海道の上に東京があるという指摘、初めて知り、興味深く思いました。
    ただ、次のような記載は、阿部氏並みの虚偽ではないでしょうか?

    しかし、北海道の場合は、釧路から札幌まで特急で4時間かかります。道東根室から、新幹線に乗ろうと函館まで行くには、特急を乗り継いで8時間かかるわけです。

    釧路に友人がいますが、東京へ行くときは帯広からエアドゥです(さっき公式見たら、釧路にも就航するようになったのですね)。
    エアドゥ来る前は苫小牧からフェリーでした。
    高くてお金のかかるJR使って釧路から東京なんて、阿部氏並みの虚偽では?
    北海道は札幌から函館が遠いので(JRで移動経験あり)、全部JRというのは旧国鉄時代とか、それこそ石川啄木の時代の時代じゃないでしょうか?

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  2. コメントありがとうございます。

    お知らせくださったように、誤解を生まないように鉄道で東京へ行こうとする人はほとんどいない点を追記しておきました!

    ありがとうございました!

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