2017年3月28日火曜日

”Fランク大学の学生を採用したらこうなった”が面白かった件



 今日のヤホーで配信されていた「Fランク大学の学生を採用したらこうなった」がめちゃくちゃ面白かったので、ついついコメントしてしまいそうです。



 やほー版 「Fランク大学の学生を採用したらこうなった」
 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170327-00010000-storys-life



 元ネタ STORYS版 「学歴フェイルターを無視してFラン大学の学生に内定を出した話」
 http://storys.jp/story/7242



 簡単に言えば、人事担当者が、上司の「一定の学力がある大学の学生以外は取るな」という指示に逆らいながら、それでも偶然下の大学から上ってきたA君を採用する、というお話です。



 オチまでぜひ読んでほしいのですが、結果「A君は5日で辞めた」のだとか!(苦笑)





 「学力と能力は比例するのか」とか「それでも中にはレベルの低い大学にも良き人材がいるのではないか」とか、その手の話はもはや巷に出回りすぎていて、


「学歴フィルターなるもの」も、一種の都市伝説で、逆に「Fラン大学から出てきた逸材」も一種の都市伝説なのではないか、みたいな話になってきているように思います。





 ヨシイエから見ると、ヨシイエは一応教育の専門家でしたので、



「えーっと、みなさん『できる人材がいるのではないか』とか、『意欲や能力が高い人材が、Fランク大学に紛れているはず』とか、どちらかというと



 個人の事象を焦点に当てた話しぶり


をしてはりますけど、この内容は、実はズバリ



 確率論



だったりするのよ」


と断言できます。



 そうなんです。これはズバリ、確率論のお話で、


「良いとされている大学には、良いとされる人材が確率的に多い」


「悪いとされている大学には、良いとされる人材が確率的に少ない」

 
ということなのです。







 だから学力と能力の「相関関係」についても、実際にどのように関係が結ばれており、どのような関係が発現するのかをちまちま論じているよりも、


「結果として、確率的にはどうなん?」


ということのほうが、オチが早くなってしまうというわけなのです。



 ”良い大学を出たものは、良い能力があると推定される”という永遠のテーマは、教育かいわいでも「ラベリング理論」として、すでに有名です。


 また、それに反論するならば、「ある一定の能力(学力)と別の能力(たとえば体力)は、脳の領域固有性により、連動するとは限らない」ということも、脳科学のかいわいではすでに有名です。



 しかし、それも個別のお話で、それらの人材を「層」「かたまり」「群」でみてゆくと、



「確率的に、よい大学にはよいとされる人材が多い」


ということは言えるでしょう。なぜなら、よい大学に入るためには「いくつかの選別作業が行われている」からです。



 日常的に、勤勉に学習すること。日常的に基本的な生活習慣があること。逆に、一発勝負の試験にもあるていど強いこと。他者との競争において、結果を出せること。


などなど。


 良いとされる大学の学生は、上記のような選別を受けていますので、当然「確率的に良く」なります。



 逆にFランク大学生は、必要な選別作業を受けていません。なので、確率的には、その中に良いと推定される人材が存在する確率が低いのです。




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 話は簡単です。これはみかんなのです。



 MサイズとLサイズに選別されたみかんが箱に100個入っているとして、もう片方には完全無選別のみかんが箱に100個入っているとしましょう。


 無選別の箱にも、かならずLサイズのみかんは入っています。


 そこで、どちらの箱からも「1分間だけ手探りでみかんを手で面接してなでまわすことができるとして、ひとつだけ取り出してみなさい」という作業を面接官に与えます。


 この場合、Lサイズのみかんを採用できる確率はどちらが高いですか?


ということなのです。


 MLサイズの箱から、Mサイズのみかんを選んでしまうことはあるかもしれません。しかし、もう一つは無選別ですから、Lサイズのみかんをチョイスするのは至難のワザです。



 この時に、面接官Aが「自分なら無選別の中からLを見極められるぜ」と豪語したとします。


 そこにもう一人の面接官Bが「じゃあ、MLサイズの箱から僕はなんにも考えずに一個取り出しますね」と言ったとします。


 その時に、面接官Aが優秀なLサイズを探り当てるのか、それとも面接官BがLサイズを探り当てるのかどちらだと思いますか?


 賢明なるみなさんは、もうお分かりですね。


 「それは実は単なる確率論やな」


と。そういうことなのです。




 採用現場もそうなのでしょうが、実は送り出す側の学校の人間も、実は若者たちを「個人個人」では捉えていません。もちろん、個別の指導はしますが、ベースになるのはあくまでも



層・群


です。


 高校の段階ですら、「これくらいの層は、こういう上級学校へ進学する」とか「こういう層は、就職に強いだの弱いだの」ということは、確率的にデータを持っているのです。



 そのことを知っている者たちからすれば、今回のような議論は不毛です。もう答えは出ているのですから。



 確率論だということは



「面接官である君が、一生懸命一人の人材を選んだとしても、確率的に高い箱から引けるのであれば、わたしが無作為に抽出した人材のほうが、結果的に能力は高いことになる」


ということがオチなのです。くわばらくわばら。










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